エラム語
エラム語(エラムご)は系統不明の言語で、古代のエラム帝国で紀元前2800年頃から紀元前550年頃に使われ、紀元前6世紀から紀元前4世紀にかけてペルシア帝国の公用語であった。最後のエラム語の文字による記録はアレクサンドロス大王によるアケメネス朝の征服の頃に残されている。現在は死語になっている。
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エラム文字
数世紀をかけて、3種類のエラム文字が相次いで発展してきた。現在はどの文字も使われていない。
原エラム文字はエラム文字のなかで最も古い。紀元前2900年頃にエラムの首都スサで使われたものが最古の記録である。原エラム文字は初期のシュメール文字から発達したと考えられている。原エラム文字には約1,000の文字種があり、一部は表意文字であると考えられている。原エラム文字はまだ解読されていないため、この文字がエラム語を表していたのか、他の言語を表していたのかは不明である。字形は縦長のひし形(ダイヤ型)やアスタリスク、垂直線、垂直線に三角形を追加した形状など幾何学図形から成り立っている。
エラム線文字は原エラム文字から派生した音節文字である。紀元前2250年頃から2220年頃の間に使われていたことが知られているが、おそらくそれより以前に発明されたものである。エラム線文字は主にヴァルター・ヒンツ(Walther Hinz)とピエロ・メリッジ(Piero Meriggi)により、部分的にのみ解読されている。エラム線文字は約80の文字をもち、縦書きで、上から下へ書かれ、行は左から右へ並べられる。
エラム楔形文字は紀元前2500年頃から紀元前331年にかけて使用された。これはアッカド語の楔形文字を借用したものである。エラム楔形文字は約130文字からなり、他の楔形に比べるとはるかに文字数が少ない。
文法
語順はSOV型である。 エラム語の文法は二重格 (double case, Suffixaufnahme) と呼ばれる名詞の格の一致を有する。
言語の形態論上の分類
エラム語は膠着語であり、その近隣で話されていたセム語族やインドヨーロッパ語族の言語とは近縁関係にない。エラム語はシュメール語と「姉妹」語であると主張する人もいる。 ロバート・コールドウェルは1913年にベヒストゥーン碑文のエラム語とドラヴィダ語との比較を行い、フェルディナンド・ボルク(1924年)はエラム語が現在インドで話されているドラヴィダ語系のブラーフーイー語と関係があるとの説を提唱し、これらの説を継承したデイビッド・マカルピンは言語学的分析を行なっている(エラム・ドラヴィダ語族を参照のこと)[1]。またドラヴィダ語族とウラル語族、アルタイ諸語の間には文法の著しい類似性が存在し、このことは両者が共通の起源より派生していることを示唆する。両者の共通祖先としてエラム語の存在を位置づけることができるかもしれない。
脚注
- ↑ David McAlpin, "Toward Proto-Elamo-Dravidian", Language vol. 50 no. 1 (1974)に「The first, by Caldwell([1913]1961:65-7),compared Dravidian with the Elamite of the Behistun inscription as part of a general comparison of Dravidian and 'Scythian' languages. The second, by Bork(1925:82-3), compared Elamite with Brahui」と記載している