エストニア
- エストニア共和国
- Eesti Vabariik
- 国の標語:なし
公用語 | エストニア語 |
---|---|
首都 | タリン |
最大の都市 | タリン |
独立 - 宣言 - 承認 - 宣言 - 承認 | ロシアより ロシア・ソビエト連邦から 1918年2月24日 1920年2月2日 ソビエト連邦から 1991年8月20日 1991年9月6日 |
通貨 | ユーロ (€) (EUR) |
時間帯 | UTC +2(DST:+3) |
ISO 3166-1 | EE / EST |
ccTLD | .ee |
国際電話番号 | 372 |
エストニア共和国(エストニアきょうわこく、テンプレート:Lang-et)、通称エストニア(テンプレート:Lang-et)は、北ヨーロッパの共和制国家。EUそしてNATOの加盟国、通貨はユーロ、人口は134万人[2]。首都はタリンである。
Contents
概要
フィンランド、ロシアと共にフィンランド湾に面する3つの国の一つで、湾をはさみフィンランドから約90km南に位置する[3]。また、バルト海東岸に南北に並ぶバルト三国の中で最も北の国でもある。国土は北はフィンランド湾、西はバルト海に面する。南はラトビア、東はロシアと国境を接する。面積は九州本島の1.23倍[4]。地形は平坦で最高標高318m[5]。国連の分類では北ヨーロッパの国である[6]。
中世ハンザ都市として栄えた港湾都市でもある首都のタリンは、フィンランドの首都ヘルシンキ、ロシアのサンクトペテルブルクと同じく、フィンランド湾に面する主要都市の一つである。特に85km北に位置する対岸のヘルシンキとの往来が活発である[7]。
報道の自由度ランキングの上位国であり[8]、公用語はエストニア語。複数の言語を話せる国民が多い[9]。また、Skype(スカイプ)を産んだ国であり、外国のIT企業の進出も多くソフトウエア開発が盛んである[10]。早期のIT教育[11]や国際学力調査で欧州の上位国としても知られる[12]。
13世紀以降、デンマーク、ドイツ騎士団、スウェーデン、ロシア帝国などの支配を経て、第一次大戦後1918年ロシア帝国より独立。第二次大戦中1940年ソビエト連邦が占領、翌1941年独ソ戦でナチス・ドイツが占領、1944年ソビエト連邦が再占領し併合。1991年同連邦より独立を回復、2004年EU・NATOに加盟、2008年NATOのサイバーテロ防衛機関の本部所在国となる[13]。
エストニアはITを行政に活用する「電子政府」を構築しており、国外の外国人にもインターネット経由で行政サービスを提供する「電子居住権」(E-Residency)制度に1万5000人以上が登録している。この制度は投資を呼び込むとともに、エストニアに好意的な人を世界で増やして、ロシアに対する抑止力を高める狙いもある[14]。
国名
正式名称はエストニア語で、Eesti Vabariik(テンプレート:IPA-et)。略称Eesti テンプレート:IPA-et。
日本語表記は、エストニア共和国。通称エストニア。漢字表記は愛沙尼亜(愛沙尼亞)。
歴史
現在のエストニアの地に元々居住していたエストニア族(ウラル語族)と、外から来た東スラヴ人、ノルマン人等との混血の過程を経て、10世紀までには現在のエストニア民族が形成されていった。13世紀以降、デンマークそしてドイツ騎士団がこの地に進出して以降、エストニアはその影響力を得て、タリンがハンザ同盟に加盟し海上交易で栄えた。ただし、その後もスウェーデン、ロシア帝国と外国勢力に支配されてきた。
1917年のロシア革命でロシア帝国が崩壊したのち自治獲得の動きが高まり、まもなく独立運動へと転じた。1918年2月24日にエストニア第一共和国の独立を宣言、その後はソビエト連邦やドイツの軍事介入を撃退して独立を確定させた。
1921年には国際連盟にも参加したが、1940年にソビエト連邦に占領され、その後、独ソ戦で1941年から1944年まではナチス・ドイツに占領されたが、第二次世界大戦末期の1944年にはソ連軍に再占領され、ソ連に併合された。ソ連崩壊直前の1991年に独立回復を宣言し、同年には国際連合にも加盟した。
1994年8月31日にロシア軍が完全撤退した後、西欧諸国との経済的、政治的な結びつきを強固にしていった。2004年3月29日、北大西洋条約機構 (NATO) に加盟した。さらに、2004年5月1日には欧州連合 (EU) に加盟している。ロシア連邦との間に国境問題が存在するが、EU加盟で棚上げになっている。
2007年4月27日、タリン解放者の記念碑撤去事件を機に「青銅の夜」と呼ばれるロシア系住民による暴動がタリンで起こり、ロシアとの関係が悪化した。同時にロシアから、世界初の大規模なサイバー攻撃(DDoS攻撃)が行われ[15]、国全体で通常時の数百倍のトラフィックが発生し、エストニアのネット機能が麻痺した。これを機に、翌年2008年、NATOのサイバーテロ防衛機関であるNATOサイバー防衛協力センターがタリンに創設された[13]。
ソ連とナチスドイツによる占領と抑圧を受けた経緯から「鎌と槌」と「鉤十字」の使用と掲揚は、2007年施行の法律で禁止されている。
2014年2月18日、ロシアのラブロフ外相とエストニアのパエト外相は、旧ソ連時代の国境線に従って両国国境を画定する条約に調印した。領土について一切譲歩しないという姿勢のロシアと、早期の国境画定を促すEUやNATOに押され、エストニアはペツェリ地区への主張を放棄することになった[16]。
政治
政体は共和制。議会(リーギコグ、Riigikogu)は一院制で、任期は4年である。大統領は議会によって選ばれ、任期は5年である。2007年2月26日から28日に世界で初めて議会選挙に関してインターネットを利用した電子投票を行った[17]。
電子化が進んでおり、議会への出席時にノートパソコン等の電子端末持ち込みが自由であり、かつ、インターネットでの議会出席も許可されているため、議論への参加や投票の時以外は、議員が議会へ直接実際に出向く必要もない。政府が発行する個人IDカードは15歳以上のエストニア国民のほとんどが持っており、行政サービスのほとんどが個人端末から済ませることが可能である。また、このIDカードは運転免許証や、ショッピングの際のポイントカードとしても機能している。役所などでは人員や紙などのコストが4分の1、窓口の人員は10分の1ほどに減らすことが可能になった[18]。
フランスと同じく、エストニアは欧州連合(EU)加盟国中で朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と国交を結んでいない国である。
軍事
陸海空の三軍のほか、郷土防衛部隊としてのKaitseliitを有する。NATOに加盟し欧米諸国と同盟関係にある。国際貢献として、アフガニスタンやイラクにも人員を派遣した。また徴兵制度により18〜28歳の男性は8〜11ヶ月の兵役につとめる。
エストニア軍は、第一次世界大戦後の独立に際して創設されたが、第二次世界大戦以降はソ連への併合による赤軍の駐留やドイツの占領に伴う反共義勇兵の供出などが行われていた。現在のエストニア軍は1991年の再独立にともなって再創設された。
地方行政区分
15の県 (maakond) に分かれる。なお、括弧内はある程度流通していると思われる日本語の慣用読みである。
- ハリュ県(ハリウ県) Harju maakond
- イダ゠ヴィル県 Ida-Viru maakond
- レーネ゠ヴィル県(ラーネ゠ヴィル県) Lääne-Viru maakond
- ラプラ県 Rapla maakond
- ヒーウ県 Hiiu maakond
- イェルヴァ県 Järva maakond
- レーネ県(ラーネ県) Lääne maakond
- ヨゲヴァ県 Jõgeva maakond
- ペルヌ県(パルヌ県) Pärnu maakond
- ヴィリャンディ県 Viljandi maakond
- サーレ県 Saare maakond
- タルトゥ県 Tartu maakond
- ポルヴァ県 Põlva maakond
- ヴァルガ県 Valga maakond
- ヴォル県 Võru maakond
地理
南のラトビアとの国境線は267km、東のロシアとの国境線は290kmあり、フィンランド湾に面する北の海岸は主に石灰岩からなる。
国土の最高標高地点はスールムナマギ(大きな卵の丘)で標高318m、1812年に最初の展望台が建設され、現在、展望台は5つあり[19]、東にロシア領、南にラトビア領が望める[20]。(位置:左地図参照)
首都タリンからフィンランド湾の北の対岸フィンランドの首都ヘルシンキまで85km、同じく湾の東奥ロシアのサンクトペテルブルクまで350kmである。[10]
最大の湖は東部のペイプシ湖で、面積は琵琶湖の5.22倍、湖の中央にはロシアとの国境線がある。国土の50.5%は森林となっている。
ペイプシ湖から、タルトゥに次ぐエストニア第3の都市ナルヴァ(ロシアとの国境の街)を経て、フィンランド湾に流れ込むナルヴァ川は、エストニアとロシアの国境線となっている。
地形
都市
- クレッサーレ(アレンスブルク) Kuressaare / Arensburg
- タリン(レーファル) Tallinn / Reval
- ペルヌ(ペルナウ) Pärnu / Pernau
- タルトゥ(ドルパット) Tartu / Dorpat, Derpt
- ナルヴァ Narva / Narwa
- ヴァルガ(ヴァルク) Valga / Walk
- コフトラ・ヤルヴェ(コホテル゠テュルプザール) Kohtla Järve / Kochtel-Türpsal
- ヴィリャンディ(フェリーン) Viljandi / Fellin
- クンダ Kunda
- ムーガ(ミュンケンホーフ) Muuga / Münkenhof
- パルディスキ(ローガーヴィーク) Paldiski / Rogervik
- ハープサル(ハプザール) Haapsalu / Hapsal
- サク Saku Parish
リヴォニア帯剣騎士団・ドイツ騎士団・スウェーデン・ロシアの支配を経験したため、市町村に複数の名称がある[21]。
自然
国立公園
- カルラ国立公園 Karula National Park
- ラヘマー国立公園 Lahemaa National Park
- マッツァル国立公園 Matsalu National Park
- ソーマー国立公園 Soomaa National Park
- ヴィルサンディ国立公園 Vilsandi National Park
経済
IMFの統計によると、2013年のエストニアのGDPは187億ドルである。一人当たりのGDPは18,852ドルで、EU平均の3万4千ドルの半分強ほどではあるが、バルト三国の中では最も高い[1]。
エストニアの経済状況はバルト三国中で最も良好である。フィンランドから高速船で1時間半という立地と、世界遺産に登録されたタリン歴史地区を背景に、近年は観光産業が発達している。1年間の観光客数は500万人を超えるともいわれる。その他にもIT産業が堅調で最近では、eストニアと呼ばれている[22]。ヨーロッパのIT市場においてオフショア開発の拠点となっており[23]、IT技術者が多い。ヨーロッパではハンガリーに次いでハッカー(単に高度なIT技術を有する人物を指す語であり、その技術を反社会的に利用するクラッカーとの違いに注意)が多いとも言われる。
また、アメリカの大手シンクタンク・ヘリテージ財団による経済自由度指標[24]では、世界第13位(2009年現在)にランク付けされており、政府による経済統制は殆どないとされる。即ち、エストニアの経済構造は、近隣の北欧諸国のような市場調整型ではなく、アングロ・サクソン諸国(アメリカやイギリス)のような市場放任寄りである。このような構造で好調な経済成長を遂げている小国の例に、アイルランドやシンガポールがある。
通貨は、2010年までクローンを用いていたが、1度の延期(2007年)を経て2011年1月1日にユーロへの移行が完了した。1999年のユーロ導入以来17カ国目で、旧ソ連圏から初めてユーロ圏の一員となった。 2010年には、イスラエル、スロベニアとともにOECD加盟国となった。
国民・言語
住民は、フィン・ウゴル系のエストニア人 (Estonians) が69.7%、ロシア人が25.2%、ウクライナ人が1.7%、ベラルーシ人が1.0%、フィンランド人が0.6%、その他3.8%である(2011年)。1989年のソ連時代はエストニア人61.5%、ロシア人30.3%であった。
ソ連からの独立後、国内に残った残留ロシア人の問題を抱えている。全人口の7.03%がロシア連邦国籍、7.26%が無国籍者(大多数は民族ロシア人)である。
国語・公用語であるエストニア語は国民の68.54%の母語であり、フィンランド語と同じく、ウラル語族の言語である。ロシア語を母語とする人は29.60%を占める。特に首都タリンでは46.7%と半数近く、ロシア国境に位置するナルヴァでは93.85%と大半がロシア語を母語とする住民で占められているなど、都市部では実質的なロシア語圏の様相を持っていると言えるが公用語にはなっておらず、看板・広告等でのロシア語表記は制限されているが、テレビやラジオなどではロシア語放送がある。しかしながら、若年層のエストニア人の間では独立後にはロシア語教育が必須でなくなった事から、英語が話せてもロシア語を話すことができない人が急増しており、ロシア語系住民はエストニア語が苦手である等、両者の断絶が続いている。このように、ロシア語系住民との融和が大きな課題としてのしかかっている。
その他、フィンランド語、ドイツ語、英語、スウェーデン語が比較的よく通じる。[11]
宗教は、福音ルター派、正教会など。キリスト教圏だが、歴史的な問題により国民の信仰は比較的薄い。
文化
食文化
音楽
国際的に著名なクラシック音楽、現代音楽の作曲家にはエドゥアルド・トゥビン、ヴェリヨ・トルミス、アルヴォ・ペルト、レポ・スメラ、エリッキ=スヴェン・トゥールなどがいる。
指揮者ではパーヴォ・ヤルヴィが2015年からNHK交響楽団の首席指揮者を務めており、父のネーメ・ヤルヴィも国際的に著名である。
文学
世界遺産
エストニア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が2件存在する。
- Tallinna vanalinn.jpg
タリン歴史地区 - (1997年、文化遺産)
- Tartu tähetorn 2006.jpg
シュトルーヴェの測地弧 - (2005年、文化遺産)
祝祭日
日付 | 日本語表記 | エストニア語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月 1日 | 元日 | Uusaasta | |
2月24日 | 独立記念日 | Iseseisvuspäev | |
復活祭の前々日 | 聖金曜日 | Suur reede | |
移動祝日(日曜日) | 復活祭 | 1.ülestõusmispüha | |
復活祭の翌日 | 復活祭月曜日 | 2.ülestõusmispüha | |
5月 1日 | メーデー | Kevadpüha | |
復活祭後の第7日曜日 | 聖霊降臨祭 | ||
6月14日 | 記念祭の全国日 | Leinapäev | 1941年のこの日にエストニア人の巨大追放が行われた。 |
6月23日 | 戦勝記念日 | Võidupüha | ドイツ軍をエストニア解放戦争で破ったことを記念 |
6月24日 | 夏至祭・聖ヨハネ祭 | Jaanipäev | |
8月20日 | 独立回復記念日 | Taasiseseisvumispäev | |
12月24日 | クリスマスイブ | Jõululaupäev | |
12月25日 | クリスマス | 1. jõulupüha | |
12月26日 | ボクシング・デー | 2. jõulupüha |
著名な出身者
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 “World Economic Outlook Database, October 2014” (英語). IMF (2014年10月). . 2014閲覧.
- ↑ 沖縄県約143万人、福岡市約153万人の人口に近い。
- ↑ フィンランド湾、北岸のフィンランド首都ヘルシンキ、南岸のエストニア首都タリン、首都間の距離は85km。次の地理参照、駐日エストニア共和国大使館HP。
- ↑ エストニアの面積45,226km²、九州本島の面積36,749.82km² (九州の面積42,194.75km²から屋久島・種子島・奄美大島・五島列島など離島除く)。
- ↑ 国土の最高標高318mの地点は、タリンから南東に約250km、ロシアとラトビアとの国境近くの「スールムナマギ」(大きな卵の丘)。位置、次の「地形図」参照 スールムナマギ
- ↑ 国際連合統計局の分類より。地図 および次の「Northern Europe」参照 [1] 2011年2月17日. 2011年4月2日閲覧。
日本の外務省欧州局は西欧課が担当する。外務省欧州局 2011年4月2日閲覧。 - ↑ タリン市観光局公式HP、フィンランド・スウエーデン等との定期航路図、ヘルシンキとは1日7便(85km 所要時間最短で90分)、バルト海西岸のストックホルム(スウェーデン)とは1日1便(375km 所要時間15時間)等、2013年度。距離は次の「地理」による。駐日エストニア共和国大使館HP。
- ↑ 国境なき記者団が毎年発表する。政府による報道への規制等を国別に数値化し、自由度の高い順にランキング化したもの。エストニアは2007年と2012年が第3位、2014年第11位。日本は、2014年第59位で、2011年第11位が過去最高である。
- ↑ 駐日エストニア共和国大使館HPより、言語:「フィンランド語のほかに、英語、ロシア語、ドイツ語を話せる、あるいは、理解する人が多い」 [2]
(参考)エストニア、2013年度「英語能力指数(EF EPI)」で世界第4位 [3]。 - ↑ 独立行政法人 労働政策研究・研修機構、海外労働情報・国別労働トピック
- ↑ 小学1年生からプログラミング授業 WIRED news 2012.9.7
- ↑ OECD加盟国の生徒の学習到達度調査(PISA) 『~2012年調査国際結果の要約~』 P10表1より、ヨーロッパで、「科学リテラシー」がフィンランドに次ぐ第2位(OECD全体で6位)、「読解力」が第4位(全体で11位)、「数学的リテラシー」が第4位(全体で11位)。
- ↑ 13.0 13.1 機関名「NATO Cooperative Cyber Defence Centre of Excellence」、日本の外務省による訳語「NATOサイバー防衛協力センター」、参照:外務省サイト エストニアの外交・国防⇒ 3.国防⇒ (3)その他、より[4]
- ↑ “エストニアの「電子居住権」、小国の生命線”. 日本経済新聞. (2017年1月24日)
- ↑ 日本の外務省HP、エストニア共和国、外交・国防、3.国防より、[5]。
- ↑ ロシアとエストニアが国境確定 NHKニュース 2014年2月19日 5時38分
- ↑ http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/6407269.stm
- ↑ エストニア「電子国家」で変わる生活 ワールドビジネスサテライト 2018年1月16日放送
- ↑ 「On the hill, there have been 5 towers. The first tower, built in 1812」 en:Suur Munamägi#History
- ↑ エストニア語への招待
- ↑ 以下のリンクなどを参照。 [6], [7], [8], Liste der Städte in Estland, [9]
- ↑ 講談社>現代メディア「またの名を「eストニア」バルトの小国はEU期待の星」
- ↑ Skypeが開発されたのもタリン
- ↑ http://www.heritage.org/index/Ranking.aspx
関連項目
- エストニア関係記事の一覧
- ハンザ同盟
- リヴォニア、リヴォニア帯剣騎士団
- ドイツ騎士団
- エストニア公国
- ドイツ植民(東方植民)
- プロイセン(プロシア)
- バルト海
- バルト帝国
- 独ソ戦
- ソ連崩壊
- バルト三国、ラトビア、リトアニア
- バルト海諸国理事会
- バルト海クルーズ
外部リンク
- Tartu Observatoorium
- 政府
- エストニア政府公式サイト (英語)
- エストニア共和国政府 (エストニア語)(英語)
- 駐日エストニア共和国大使館 (日本語)
- エストニア政府観光局 (日本語)
- 日本外務省 - エストニア (日本語)
- 在エストニア日本国大使館 (日本語)
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