アン・オブ・デンマーク
アン・オブ・デンマーク(Anne of Denmark, 1574年12月12日 - 1619年3月2日)は、イングランド王ジェームズ1世(兼スコットランド王ジェームズ6世)の王妃。父はデンマーク=ノルウェーの王フレゼリク2世。クリスチャン4世は弟。ジェームズ1世/6世の曾祖父であるスコットランド王ジェームズ4世の母マーガレット・オブ・デンマークもデンマーク王家出身であるが、アンはその弟フレゼリク1世の曾孫に当たる。
略歴・人物
1589年、ノルウェーのオスロでジェームズと結婚した。ブロンドの美貌の女性であったという。
軽薄で浪費癖があり、スコットランドの王妃であったころから財政を脅かした。ロンドンへ移ってからはイングランド宮廷の華美な行事や催し物が気に入り、ベン・ジョンソンなどの劇作家による仮面劇をたびたび催し、自分も演じたという。侍女や側近を多数連れての大旅行を好み、保養地バースはお気に入りだった。また、建築狂いで、妙な建築物を多数つくって莫大な負債を残した。
結婚当初はプロテスタントであったが、ロンドン移転後の翌年にカトリックに改宗した。理由は不明である。そして死の床で、「プロテスタントであった」と告白して亡くなった[1]。アンが亡くなると莫大な負債が残され、夫王ジェームズは悩まされることになった。彼女については「空っぽの頭」(Empty Headed)と酷評する人もいたという[1]。
子女
夫王ジェームズとの間に3男4女を生んだが、成人したのは1男1女、チャールズ1世と、プファルツ選帝侯フリードリヒ5世の妃エリザベス(エリーザベト)だった。長男ヘンリー・オブ・スターリングは国民的人気があり、18歳で早世しなければイングランド内戦も、またチャールズ1世の処刑もなかっただろうとさえ言われた[2]。また、娘エリザベスの孫がハノーヴァー朝初代のジョージ1世である。
脚注
参考文献
- 森護 『英国王室史話』 大修館書店、1986年