アンティオキアのイグナティオス
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アンティオキアのイグナティオス | |
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生誕 |
35年5月15日 シリア属州 |
死没 |
108年7月6日 ローマ |
崇敬する教派 |
カトリック教会 正教会 東方典礼カトリック教会 東方諸教会 アングリカン・コミュニオン ルーテル教会 |
記念日 |
12月20日(東方教会) 10月17日(西方教会) |
アンティオキアのイグナティオス(35年頃 - 107年?[注釈 1])は、アンティオキアの第2代主教(司教)[1][2][3][4][注釈 2]。正教会、非カルケドン派、カトリック教会、聖公会、ルーテル教会などで聖人とされる。使徒教父の一人。
正教会では「神品致命者」という称号のほか、「捧神者」[5](ほうしんしゃ、ギリシア語: Θεοφόρος[6], ロシア語: Богоносец[7][8])という称号を付されて呼ばれる[注釈 3]。イグナティウスと表記されることもある。
概略
イグナティオスは若年の頃にキリスト教に帰依し、ローマ皇帝がネルヴァからトラヤヌスに変わった頃(98年)にはアンティオキア教会の第2代目の司教になった[9]。ローマで殉教する旅の途中、イグナティオスは、最も初期のキリスト教神学の例と見なされている一連の手紙を書き送った[10]。これは、教会論、サクラメント論、主教論を含んでいる。
イグナティオスは、ローマのクレメンスとポリュカルポスとともに、使徒教父の筆頭であり、個人的に使徒を知っていた初期のキリスト教著述家の一人であると伝えられる[11]。
聖イグナティオスの日は西方教会では10月17日に、東方教会では12月20日に祝われる。カトリック教会では2月1日である。
注釈
参照元
- ↑ 正教会の出典:Primates of the Apostolic See of Antioch | Antiochian Orthodox Christian Archdiocese
- ↑ 非カルケドン派の出典:Chronological List of the Patriarchs of Antioch
- ↑ カトリック教会の出典:Bishops/Patriarchs of Antioch
- ↑ プロテスタントの出典:『キリスト教大事典』74頁、教文館、昭和48年9月30日 改訂新版第二版
- ↑ 『正教会暦 主降生2013年』p69, 日本ハリストス正教会教団
- ↑ Άγιος Ιγνάτιος ο Θεοφόρος (Ιερά Μονή Παντοκράτορος Μελισσοχωρίου)
- ↑ Священномученик Игнатий Богоносец + Православный Церковный календарь
- ↑ БОГОНОСЕЦ (Толковый словарь Ушакова)
- ↑ エウセビオス、秦剛平・訳 『教会史・上』 講談社学術文庫、2010年、P.176。
- ↑ エウセビオス、秦剛平・訳 『教会史・上』 講談社学術文庫、2010年、P.201。
- ↑ エウセビオス、秦剛平・訳 『教会史・上』 講談社学術文庫、2010年、P.201。
外部リンク
- Early Christian writings: On-line texts of St. Ignatius' letters
- Catholic Encyclopedia: St. Ignatius of Antioch
- The Short Syriac Version
- The Ecclesiology of St. Ignatius of Antioch by Fr. John S. Romanides
- Saint Ignatius
- Opera Omnia by Migne Patrologia Graeca with analytical indexes
典拠レコード: