アメリカ合衆国史

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1607年のジェームズタウン植民地建設に始まるイギリスの北アメリカ十三植民地の形成と発展は,先住民アメリカインディアンの「排除」とヨーロッパ人年季契約奉公人とアフリカ人奴隷(黒人奴隷)の「植民」を前提として行なわれた。

名誉革命後,ヨーロッパにおける数次の王位継承戦争と連動したフランスとの植民地争奪戦争に勝ったイギリスは,1763年以後帝国統制政策を強化したが,すでに植民地自治を強化し,いまやフランスの軍事的脅威からも解放された北アメリカ十三植民地はこれに強く抵抗し,1775年ついに武力抗争に踏み切り,独立戦争(アメリカ独立戦争)に突入した。

翌 1776年大陸会議に結集した十三植民地は独立宣言(アメリカ独立宣言)を公布し,次々に邦憲法を制定して 13の共和邦に転換,それらが連合してアメリカ合衆国を形成した。1783年のパリ条約で政治的独立を国際的に承認されたのち,1787年連邦憲法と北西部領地条令を制定して,国家建設の第一歩を踏み出した。

1812年のアメリカ=イギリス戦争を経て,北東部では綿工業を軸に産業革命が進展し,南部では黒人奴隷制の再強化による綿花プランテーションが発展,西部ではインディアンから土地を奪取して拡大した領土で農林業と工業の発展がみられ,白人市民の政治的発言権が拡大した(ジャクソン民主主義

この間,1803年にはミシシッピ川以西のルイジアナ,1819年にはフロリダ,1845年にはテキサス,1846年にはオレゴン,1848年にはカリフォルニア,ニューメキシコなどを,それぞれ獲得あるいは併合して 19世紀半ばにはほぼ今日の合衆国本土領域を形成するにいたった。1850年代には西方領土における奴隷制の存否をめぐって南北間の政治的対立が激化し,南北戦争による奴隷制廃止によって決着がつけられた(奴隷制廃止運動

戦後から 19世紀末までの間に,鉄鋼・石油部門を中心に工業が飛躍的に発展して,大企業による独占体制が成立する一方,労働運動が進展してアメリカ労働総同盟(アメリカ労働総同盟産業別組合会議)が結成された。

西部においてはインディアン征服を終え,農業,鉱業が著しく発展してフロンティアは消滅し,農民運動の高揚,人民党の結成をみた。1898年のアメリカ=スペイン戦争を機にアメリカは「門戸開放」を旗印に帝国主義列強による世界分割競争に加わり,国内では人種差別制度をてことする資本の支配を強めていく。

第1次世界大戦後,最大の資本主義国(資本主義)として国際経済への支配力と国際政治への発言権を強め,国内では大量生産,大量消費,大量伝達の時代を現出したが,1929年の大不況(大恐慌)により繁栄の夢は終わり,その克服策としてニューディールがとられた。第2次世界大戦後,資本主義世界の指導国として社会主義世界と対立し,1960年代には内外の植民地独立運動,民族解放運動に直面,1970年代にはそのよって立つ原理に反省を迫られた。

1980年代は経済の低迷や社会問題の悪化に苦しんだが,1989年に冷戦が終結すると,1990年代は経済の回復,拡大で未曾有の経済的,社会的繁栄を迎え,世界で唯一の超大国となった。2000年代初頭,経済にかげりが見え始めた 2001年9月11日,イスラム過激派によるアメリカ史上最悪のテロ事件が起こり,精神的・経済的打撃を受けた(アメリカ同時テロアルカイダ

2009年1月,バラク・オバマがアメリカ史上初のアフリカ系アメリカ人大統領に就任した。