アトランティック・レコード

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テンプレート:Infobox record label アトランティック・レコード(Atlantic Recording Corporation)はアメリカのレコード会社。

現在はワーナー・ミュージック・グループの傘下にある。

歴史

1947年にアーメット・アーティガンハーブ・エイブラムソンによって設立された。アーティガンの父はトルコ人で外交官、駐米大使だった。アーティガンは大使館の雑用係だった黒人クレオ・ペインから黒人音楽と文化を教えられる。黒人音楽の魅力にとりつかれたアーティガンは兄ネスヒとともに、夜な夜なレコード店でジャズやブルースのレコードをあさるようになる。やがて彼らは、自分たちの心を震わせる黒人ジャズメンのコンサートを開きたいという感情が抑えられなくなった。しかし当時のワシントンは南部と変わりないほど激しい人種差別が存在し、黒人と肩を並べて道を歩くのもはばかられるような状態だった。しかしそれにもめげず、彼らはトルコ大使館でデューク・エリントンやレスター・ヤングのコンサートを開くことに成功した。そして47年にレーベルを創立する。エイブラムソンは後に同社を退き、一方でアーティガンの兄であるネスヒ・アーティガンとジェリー・ウェクスラー[1]が加わり、この3人によって運営された。

R&Bジャズの名門レーベルとして有名。1952年から1959年まではレイ・チャールズが契約しており、レーベルを牽引した。特に1950年代から60年代にかけてのサザン・ソウルの隆盛は同社の存在を抜きにして語ることはできない。ジェリー・ウェクスラーやトム・ダウドなどの有名プロデューサーを輩出したことでも知られる。

当時は公民権運動が起こっており、1960年代の中盤には黒人にも公民権が認められるようになったが、1960年代の後半まで黒人系の出入りするショットバー、プールバーなどと白人系の人々の出入りするバーは分かれていた。

又、この頃はジュークボックスが全盛の時代で黒人系の各種バーなどで、主に通称8ビートを主体とするダンスミュージックとしてジェームス・ブラウン他多くのアトランティックレーベルのレコードが圧倒的に人気があり、置かれていてこのジュークボックスの普及もレコードの売り上げに影響した時代であった。

1960年代中盤から徐々に白人ロックにも進出し、ブルー・アイド・ソウルラスカルズ(当初はヤングラスカルズ)は異例扱いでアトランティックレーベル、他はブランド区分で当初はアトコ・レコードからソニー&シェールバッファロー・スプリングフィールドアイアン・バタフライ(en)、アメリカ国内盤でエリック・クラプトンのクリームを、その後イギリス現地法人設立など営業方針変更からレッド・ツェッペリンクロスビー、スティルス&ナッシュなどをアトランティックレーベルから送り出した。

1967年にワーナー・セヴンアーツ(後のタイム・ワーナー)の傘下となり、現在はワーナー・ミュージック・グループを代表するレーベルのひとつである。

また、アメリカとアメリカ国外ではロゴが違う(米国のみ新ロゴを使用)。

日本盤はかつてはイーストウエスト・ジャパンが発売元だったが、同社がワーナーミュージック・ジャパン (WMJ) と合併したため、現在はWMJが発売元である。

沿革

主なアーティスト

ソウル・R&B

ジャズ

ロック、ポップ

注:過去に所属していたアーティストも含む。

アトランティック・レコードの邦楽アーティスト

1970年代から1980年代にかけて、アトランティック・レーベルの配給権を保持していたワーナー・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン) が、同レーベルから発売した邦楽アーティスト。

アトコ・レコード

コティリオン・レコード

  • スレイヴ

サブ・レーベル

関連項目

脚注

外部リンク

参考文献

  • 『ジャズ名門レーベル大事典 Swing Journal 1999年5月臨時増刊』スイングジャーナル社、1999年、274頁。

テンプレート:ワーナー・ミュージック・グループ