アトランティス
アトランティス(古代ギリシア語: Ατλαντίς)は、古代ギリシアの哲学者プラトンが著書『ティマイオス』[† 1]及び『クリティアス』[† 2]の中で記述した伝説上の広大な島、および、そこに繁栄したとされる帝国のことである。プラトンの時代の9000年前に海中に没したと記述されている[1]。
Contents
概要
プラトンの対話篇『ティマイオス』および『クリティアス』では、次のように語られている。アトランティス島はジブラルタル海峡のすぐ外側、大西洋にある、当時ギリシャ人が最大の島と考えていたキプロス島よりも大きい、非常に広い島だった[2]。アトランティス島は資源の宝庫で、必要な物質の大半を島で補うことができ、農産物の豊富で、畜産も盛んだった[2]。そこにあった帝国は、大西洋を中心に地中海西部を含んだ広大な領土を支配していた[2]。当時存在した国と考えれば、アトランティスで特筆すべき点は、領土の規模の大きさである[2]。語られた技術や素材から、青銅器文明に属していた[2]。84万の兵と1万台の戦車、1200隻の軍艦と24万人の乗組員を動員することができたとされ、青銅器時代の国家としては突出した軍事力を持っていたことになる。彼らがこれほどの富と力を持っていたのは、王家がポセイドンの末裔であったからだとされる[2]。しかし、ポセイドンの子孫と人間が混じるにつれ、神性は失われていき、アトランティス人は物質主義に走り、さらなる富と領土を求め、暮らしは荒廃した[2]。これを見たゼウスは神々を集め、アトランティスにどのような罰を下すか話し合い、帝国の敗北と島の破壊を決めた[2]。帝国は紀元前9400年頃に地中海沿岸部に征服戦争を仕掛け、アテナイ人は近隣諸国と連合して抵抗し、激しい戦闘になり、アテナイ軍はからくも勝利し、地中海西岸をアトランティス人の支配から解放した[2]。しかし直後に、大地震と洪水によって一昼夜のうちにアトランティス島は海底に沈み、これらの災害はアテナイ軍にも大きな被害を与えた[2]。島が陥没してできた泥土が航行の妨げになったという描写から、島が沈んだのはさほど深くない場所だと考えられる[2]。アトランティスの物語の語り手として登場するのは、プラトンの母方の曽祖父だったとされるクリティアスで、彼は祖父からこの話を聞き、クリティアスの祖父は賢人で政治家のソロンから、ソロンはエジプトに旅した際に女神ネイトに仕える神官から伝えられたという[2]。
プラトンは強大な国々の傲慢さを揶揄した寓話として言及したという説もある[3]。古典の原典でアトランティスへに言及しているのは、『ティマイオス』『クリティアス』だけで、アトランティスの伝説はプラトン以前に遡ることはできない[4]。
中世ヨーロッパの知識人にとって、プラトンのアトランティスの記述は『ティマイオス』の一節に過ぎず、注目されなかった[5]。16-17世紀の西洋世界では、南北アメリカ大陸というキリスト教の世界観に収まらない新天地の発見により、その先住民の起源と大陸が生まれた経緯を説明するために、さまざまな理論が考案され、アトランティスもその説明に用いられた[6]。16世紀の学者にはアトランティス大陸の存在を疑う人もいたが、世間から尊敬を集める人々の多くは信じており、彼らが世間から怪しく思われることもなかった[7]。フランシス・ベーコンは、ユートピア小説『ニュー・アトランティス』(1601年、未完)でアメリカをアトランティスの残骸とする説を寓話として紹介し、広く普及させた[8]。ベーコンの寓話は当時の地理の知識に基づいても明らかな作り話だったが、あり得ること、本当のことと捉える人もおり、架空の物語が疑似歴史の分野で史実と捉えられるようになっていった[8]。アメリカ大陸=アトランティス大陸説は、200年以上一考の価値がある理に適った説として受け継がれた[8]。19世紀に入るとアトランティス実在説をめぐる科学や歴史学、考古学の言説の不備や不正確さが目立つようになり、科学や考古学では実在に対する疑念が大きくなったが、その流れに逆行するように一般大衆のアトランティスへの興味は高まった[9]。
アトランティスについては、もっぱら伝統的な古典教育を受けた教養人と著述家の間で議論されていたが、1870年フランスの人気作家ジュール・ヴェルヌがSF小説『海底二万里』で海中に没したアトランティスの姿を描き、欧米の大衆文化にアトランティスという概念を広め、大衆におけるアトランティスブームの先駆けとなった[10]。さらに1882年、アメリカの政治家イグネイシャス・ロヨーラ・ドネリーが著書『アトランティス―大洪水前の世界』[† 3]を発表し、「謎の大陸伝説」[注 1]として一大ブームとなった。今日から見るとドネリーの学説には多くの欠陥があるが、当時においてはそれなりの説得力があり、彼によって近代のアトランティス学・アトランティス神話の基盤が作られ[12]、民衆文化におけるアトランティス熱に火をつけ、更にオカルトと結びつくことで多くの派生研究を生んだ。彼以降のアトランティスに関する著作家たちは、ドネリーを上回る、さらに美化した極論を展開した[12]。19世紀以降に始まった俗流学問である疑似歴史において、アトランティス大陸は最古のテーマであると考えられており、妄想に捕らわれた人、捏造家、カルト的世界の愛好者、国粋主義者、人種差別主義者によって、膨大な仮説が打ち建てられた[13]。
ドネリーの著作と同時期にオカルティストたちも関心を持つようになり、アトランティスを始めとする失われた大陸をめぐる疑似歴史に、様々な想像や夢物語を付け加えていった。神智学協会を作ったヘレナ・P・ブラヴァツキーが、アトランティス大陸などの失われた大陸を人類の霊的進化・宇宙創生論に関するオカルティズムの中心テーマとして語り、アトランティスの住民は高度な科学文明を持っていたとした[14]。こうした主張は、プラトンのアトランティスに関する議論とはかけ離れた内容である[15]。なお、オカルティストなどアトランティスをめぐるカルト的世界の愛好家たちは、アトランティスに関する学術研究に全く貢献していない[16]。アトランティスは、神智学徒を始めとするオカルティストたちの世界観の根幹をなすものとなり、神智学協会を超えて、ルドルフ・シュタイナーの人智学、さらにシュタイナーの弟子を通じて薔薇十字思想などに受け継がれ、模倣され、広まっていった[17][18]。オカルティストたちは、宇宙誕生以降のすべてが記録されたアカシャ記録、アカシックレコードという宇宙に納められた記録を霊視することで、アトランティスの詳しい歴史を解明したと主張した[17]。アトランティスはアーリアン学説とも結びついており、オカルト思想や疑似歴史・疑似科学の教義を説く集団と密接に関係していたナチスは、その壮大な疑似歴史体系の重要な一要素として、アトランティスをアーリア民族の故郷であると主張し、この説を立証しようと資金と頭脳を投入した[18]。
アトランティス等の失われた大陸が世界の諸文明・全人類の源であるという考えは、大戦前から大戦中にもブラヴァツキーに始まる近代神智学などで流行した。こうした説は、その地の支配層は白人種であり、そう主張する人々の先祖であったとされ、白人優位主義、自民族至上主義(エスノセントリズム)を正当化し、「かつては全世界が自分たちのものであった」ということを「立証」して植民地支配を正当化する論拠として利用された[19]。
大戦後に心霊診断家のエドガー・ケイシーを契機に、核戦争への危機感と相まって再びブームとなり、様々な大衆的なオカルト本、SF、アニメなどでもよくつかわれる題材となった[20]。アトランティスは、素人には理解しにくく刺激が乏しく感じられる歴史というものにドラマを与え、かつて人類が完全な理想郷の中にあり、それが失われたと想像させることで、ユートピア願望、美しいものの喪失を嘆く感傷をかきたてる[21]。ラヴクラフトのクトゥルフ神話など、アトランティスを創作に活用した書き手のほとんどは実在を信じていないが、魅力的なテーマであり、フィクションにせよ史実と主張するにせよ、人気の高い題材になっている[22]。
過去100年近く、著名な歴史家や考古学者たちは、プラトンのアトランティスは、紀元前1525年頃にあったエーゲ海の小島ティラ島の火山噴火に想を得たものではないかと考えてきた[23]。ティラ島をアトランティスがあった場所と考える人は最も多い[23]。他に、小アジアのスミルナ近郊のトロイア、謎の多いスペインの交易都市タルテッソスが着想の基であるという説もある[23]。プレートテクトニクス理論によって大西洋にかつて大きな陸塊が存在した可能性が否定されるなど[24]、近年の研究によってドネリーの主張は時代遅れとなり[12]、アトランティス実在説やアトランティス学は、疑似歴史として扱われるようになり、まともな学問とはみなされなくなった[25]。大多数の著名な学者は、プラトンの記述に史実は全く含まれていないと考えている[26]。しかし、アトランティスがあったと信じる人も未だにおり、プラトンの記述に一部でも史実が含まれると考える著名な学者も、少数だが存在する[26]。
現在の在野のアトランティス学では、場所についてはオーストラリアを除いた地球のすべての大陸と海底、そして地球の外まで候補に挙げられており、存在した期間は数百万年前からプラトンの時代のほんの数世紀前まで、文明の実態は進歩した石器時代社会から高度な科学を持った文明、宇宙人から文明を与えられたという主張まで、様々な相矛盾する説が入り乱れている[27]。
1980年代のアメリカの大学生に対する調査では、約3分の1の学生が実在を信じ、疑わしいと答えたのは約4分の1だった[28]。歴史学者のロナルド・H. フリッツェは、アトランティス実在説は物語としては魅力的で楽しいものであるが、この説の信奉者にはどこか反知性主義の匂いがあり、一見無邪気な娯楽物語もナチスの狂信と全く縁遠いものとは言えないと述べている[29]。
アトランティスの語源
「Ατλαντίς(アトランティス)」という語は、ギリシア神話の神、アトラス(Ἀτλας)の女性形・形容詞形であり、字義通りには「アトラスの娘」を意味する[30]。
アトラス神
「アトラス(Ἀτλας)」の語源は、「支える」を意味する印欧祖語の dher に由来する、ベルベル諸語の語が元で、ベルベル人のアトラス山脈への信仰に由来するなど諸説ある。アトラス神への言及はホメロスの『オデュッセイア』が初出で、「大地と天空を引き離す高い柱を保つ」と謳われている[31]。一方、ヘシオドスの『神統記』以降は、ティタノマキアにおいてティタン族側に加担した罪で、地の果てで蒼穹を肩に背負う姿として叙述されるようになり、フルリ人やヒッタイト人の神話に登場するウベルリの影響を受けたものと考えられている。また、アトラスが立つ地の果ての向こうの大洋には島があり、ニュクスの娘達とされるヘスペリデスが、ゴルゴン族の傍らで黄金の林檎を守っているとされ[32]、後にアトラスの娘達として知られるプレイアデスやアトランティデスなどと同一視されるようになる[33]。
アトラスの海
プラトンの対話集に先立ち 「アトランティス(Ατλαντίς)」という表現は大西洋を意味する地名として使われている。ヘロドトスは『歴史』の中で大西洋を「アトランティスと呼ばれる、柱[注 2]の外の海」と記述した[34]。以降、大西洋は今日に至るまで「アトラスの海」や「アトラスの大洋」と呼ばれるようになったのである[† 4]。
またヘロドトスはアトラス山脈について初めて言及しているが、山脈としてではなく単独の雪山としてリビア内陸のフェザン地方にそびえているものとして記述し、その山麓の砂漠に暮らす、日中の太陽を呪い、名前を持たないアタランテス人[† 5]と、肉食をしないために夢を見ないアトランテス人[† 6]に触れている[35]。
シケリアのディオドロスは『歴史叢書』の中で、アフリカの大西洋岸(モロッコ西岸)に聳えるアトラス山と、その麓でギリシア人並の文明生活を送っている アトランティオイ人[† 7]について記載している。アトランティオイ人の神話によると、ウラノスがアトランティオイ人に都市文明をもたらし、その後ティタン達が世界を分割統治した際にアトラスが大西洋岸の支配圏を得たが、アトラスはアトラス山の上で天体観測を行い、地球が球体であることを人々に伝えたという。また、アトラス王は弟ヘスペロスの娘ヘスペリティスと結婚して7人の美しい娘達(ヘスペリデス、アトランティデス)の父となり、エジプトのブシリス王の依頼を受けた海賊に誘拐されてしまった娘達をヘラクレスが救った際に、その礼としてヘラクレスの最後の功業を手伝ったのみならず、天文の知識を教えたが、これがギリシア世界でアトラスの蒼穹を担ぐアトラス伝説へと変化してしまったという[36]。
ストラボンの『地誌』においては、アトラスはマウレタニアの山脈として認識されるようになり、ベルベル人はデュリス山脈と呼ぶと紹介している。また、ストラボンは、ジブラルタル海峡以西のアフリカ沿岸世界については、古来より嘘にまみれた様々な創作のせいで、真実の報告を見分けるのは難しいとも述べている[37]。
ガイウス・プリニウス・セクンドゥスの『博物誌』は、歴史家ポリュビオスやクラウディウス帝時代のローマの遠征軍がマウレタニアで得た知識を元に、現地の言葉でディリス山脈とも呼ばれるアトラス山脈の地理を詳しく記述しており、古典時代のギリシア人の北西アフリカにおける不正確な地理的知識は、当時この地との交易を支配していたカルタゴ人の航海者ハンノ以来、さまざまな空想の混じった伝聞が流布してしまったことによるものと指摘している[38][注 3]。アトランテス人に関してはヘロドトスのアタランテス人の特徴と混ぜて引用し、リビアの砂漠の奥に住むと記述している[39]。また、ポリュビオスの報告として、アフリカのアトラス山脈の大西洋側の末端の山の沖合いに、ケルネ島とアトランティス島があると記述している[40]。
ポンポニウス・メラは『世界地理』の中で大西洋岸に面したアトラス山を紹介し[41]、また、リビアの内陸に住むアトランテス人についても、ほぼ大プリニウスと同様の内容を記述している[42]。
クラウディオス・プトレマイオスは『地理学』の中で、アトラス山脈の大西洋側の末端に相当する岬の山として、大アトラス山(経度8°北緯26°30′[注 4])と小アトラス山(経度6°北緯33°10′)について座標を与えている[43]。
パウサニアスの『ギリシア案内記』はリビアの砂漠の中に住む民族としてヘロドトスのアトランテス人を引用し、この民族は大地の広さを知っており、リクシタイ人[† 8]とも呼ばれることを記している。また、砂漠の中のアトラス山からは3つの川が流れ出るが、全て海へ流れ込む前に蒸発してしまうという[44]。
プラトンのアトランティス伝説
作品構想と背景
『ティマイオス』と『クリティアス』は、プラトンがシュラクサイの僭主ディオニュシオス2世の下で理想国家建設に失敗した後、晩年にアテナイで執筆した作品と考えられている。両作品はプラトンの師匠である哲学者ソクラテス、プラトンの数学の教師とも伝えられているロクリスの政治家・哲学者ティマイオス、プラトンの曾祖父であるクリティアス[注 5]、そして、シュラクサイの政治家・軍人ヘルモクラテスの4名の対話の形式で執筆されている。『ティマイオス』では主にティマイオスが宇宙論について語り、『クリティアス』では主にクリティアスが実家に伝わっているアトランティス伝説について語っている。ヘルモクラテスは一連の作品群で語りの役割を果たしていないが、作品中ソクラテスによって第三の語り手と紹介されていることから[45]、 アトランティスとアテナイの間の戦争に関して軍人ヘルモクラテスに分析させた、『ヘルモクラテス』という作品が構想されていたという説が、プラトンの対話集の英訳で知られる英国の古典学者ベンジャミン・ジャウエットなどにより提唱されている[注 6]。
クリティアスの家で行われたとされるこの対話が現実のものであったとするのなら、ニキアスの和約が成立した紀元前421年8月頃のパンアテナイア祭りの最中で[46]、クリティアスの孫のプラトンはまだ6歳の少年としてこの話を横で聞いたということになる。また、対話には病気で欠席した人間がいることになっている[47][注 7]。
核となる伝説は、アテナイの政治家ソロンがエジプトのサイスの神官から伝え聞いた話を親族にして友人のドロピデに伝え、更にその息子のクリティアスが引き継ぎ、更に同名の孫のクリティアスが10歳の頃に90歳となった祖父のクリティアスからアパトゥリア祭の時に聞かされた事として、対話集の中で披露されている[48][注 8]。 作中の神官によると、伝説の詳細は手に取ることのできる文書に文字で書かれていることになっている[49]。ソロンはこの物語を詩作に利用しようと思って固有名詞を調べたところ、これらの単語は一度エジプトの言葉に翻訳されていることに気付いた。そこでソロンはエジプトで聞いた伝説に登場する固有名詞を全てギリシア語風に再翻訳して文書に書き残し、その文書がクリティアスの実家に伝わったという[50]。ソロンは結局帰国後も国政に忙しかったため、この伝説を詩に纏めることができなかったとされている[51]。
『ティマイオス』
『ティマイオス』の冒頭でソクラテスが前日にソクラテスの家で開催した饗宴で語ったという 理想国家論が要約されるが、その内容はプラトンの『国家』とほぼ対応している。そして、そのような理想国家がかつてアテナイに存在し、その敵対国家としてアトランティスの伝説が語られる。
アマシス2世アアフメス2世が即位した後の紀元前570-560年頃、ソロンは賢者としてエジプトのサイスの神殿に招かれた。そこでソロンは、デウカリオンの洪水伝説で始まる人類の歴史の知識を披露する。
すると神官たちの中より非常に年老いた者が言われた「おおソロンよ、ソロン。ヘレネス(ギリシア人)は常に子供だ。ヘレン(ギリシア)には老人(賢者)がいない」 — プラトン『ティマイオス』22b
神官は、古来より水と火により人類滅亡の危機は何度も起こってきており、ギリシアではせっかくある程度文明が発達しても度重なる水害により都市とともに教養ある支配階級が絶滅してしまうため、歴史の記録が何度も失われてしまったが、ナイル河によって守られているエジプトではそれよりも古い記録が完全に残っており、デウカリオン以前にも大洪水が何度も起こったことを指摘する。また、女神アテナと同一視される女神ネイトが神官達の国家体制を建設してまだ8000年しか時間が経っていないが[注 9]、 アテナイの町はそれよりさらに1000年古い9000年前(紀元前9560年頃)に成立しており、女神アテナのもたらした法の下で複数の階層社会を形成し、支配層に優れた戦士階級が形成されていたことを告げる。
その頃ヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡)の入り口の手前の外洋であるアトラスの海[† 9]にリビアとアジアを合わせたよりも広い、アトランティスという1個の巨大な島が存在し、大洋を取り巻く彼方の大陸との往来も、彼方の大陸とアトランティス島との間に存在するその他の島々を介して可能であった。アトランティス島に成立した恐るべき国家は、ヘラクレスの境界内(地中海世界)を侵略し、エジプトよりも西のリビア全域と、テュレニアに至るまでのヨーロッパを支配した。その中でギリシア人の諸都市国家はアテナイを総指揮として団結してアトランティスと戦い、既にアトランティスに支配された地域を開放し、エジプトを含めた諸国をアトランティスの脅威から未然に防いだ。
しかしやがて異常な地震と大洪水が起こり、過酷な一昼夜が訪れ、あなた方(=アテナイ勢)の戦士全員が大地に呑み込まれ、アトランティス島も同様にして海に呑み込まれて消えてしまった。それ故その場所の海は、島が沈んだ際にできた浅い泥によって妨げられ、今なお航海も探索もできなくなっている。 — プラトン『ティマイオス』25c-d
ここでクリティアスは太古のアテナイとアトランティスの物語の簡単な紹介を終え、以降ティマイオスによる宇宙論へ対談の話題が移る。
『クリティアス』
作品の冒頭の記述から、この作品は先の『ティマイオス』の対話と同じ日に行われた続編にあたる対話であることが示唆されている。ティマイオスにおける宇宙論に引き続き、今度はクリティアスがアテナイとアトランティスの物語を披露する。
アトランティスと戦った時代のアテナイ
9000年以上前、ヘラクレスの柱の彼方に住む人々とこちらに住む人々の間で戦争が行われた時、それぞれアテナイとアトランティスが軍勢を指揮した。当時のアテナイ市民は私有財産を持たず、多くの階層に分かれてそれぞれの本分を果たしていた。また、当時のアテナイは現在よりも肥沃であり、約2万人の壮年男女からなる強大な軍勢を養うことが出来たし、アテナイのアクロポリスも遥かに広い台地であったが、デウカリオンの災害から逆算して三つ目に当たる彼の大洪水により多くの森が失われ、泉が枯れ、今日のような荒涼とした姿になってしまった。また洪水のたびに山岳に住む無学の者ばかりが生き残るため、今日アテナイには当時の統治者の名前ぐらいしか伝わっていない。エジプトの神官は当時のアテナイの王の名前として、ケクロプス、エレクテウス、エリクトニオス、エリュシクトンなどを挙げたとソロンは証言している。
アトランティスの建国神話
アトランティス島の南の海岸線から50スタディオン(約9.25 km)の位置に小高い山があり、そこで大地から生まれた原住民エウエノルが妻レウキッペとの間にクレイトという娘を儲けた。アトランティスの支配権を得た海神ポセイドンはクレイトと結ばれ、5組の双子が生まれた。すなわち「アトラスの海」(大西洋) の語源となった初代のアトランティス王 アトラス、スペインのガデイラに面する地域の支配権を与えられたエウメロスことガデイロス、アンペレス、エウアイモン、ムネセウス、アウトクトン、エラシッポス、メストル 、アザエス、ディアプレペスで、ポセイドンによって分割された島の10の地域を支配する10の王家の先祖となり、何代にも渡り長子相続により王権が維持された。ポセイドンは人間から隔離するために、クレイトの住む小高い山を取り囲む三重の堀を造ったが、やがてこの地をアクロポリスとするアトランティスの都、メトロポリスが人間の手で形作られていった。
アトランティスの都
アクロポリスのあった中央の島は直径5スタディオン(約925m)で、その外側を幅1スタディオン(約185m)の環状海水路が取り囲み、その外側をそれぞれ幅2スタディオン(約370m)の内側の環状島と第2の環状海水路、それぞれ幅3スタディオン(約555m)の外側の環状島と第3の環状海水路が取り囲んでいた。一番外側の海水路と外海は、幅3プレトロン(約92.5m)、深さ100プース(約30.8m)、長さ50スタディオン(約9.25km)[注 10]の運河で結ばれており、どんな大きさの船も泊まれる3つの港が外側の環状海水路に面した外側の陸地に設けられた。3つの環状水路には幅1プレトロン(約30.8 m)の橋が架けられ、それぞれの橋の下を出入り口とする、三段櫂船が一艘航行できるほどのトンネル状の水路によって互いに連結していた。環状水路や運河はすべて石塀で取り囲まれ、各連絡橋の両側、すなわちトンネル状の水路の出入り口には櫓と門が建てられた。これらの石の塀は様々な石材で飾られ、中央の島、内側の環状島、外側の環状島の石塀は、それぞれオレイカルコス(オリハルコン)、錫、銅の板で飾られた。内外の環状水路には石を切り出した跡の岩石を天井とする二つのドックが作られ、三段櫂の軍船が満ちていた。
中央島のアクロポリスには王宮が置かれていた。王宮の中央には王家の始祖10人が生まれた場所とされる、クレイトとポセイドン両神を祀る神殿があり、黄金の柵で囲まれていた。これとは別に縦1 スタディオン(約185m)、横3プレトロン(約92.5m)の大きさの異国風の神殿があり、ポセイドンに捧げられていた。ポセイドンの神殿は金、銀、オレイカルコス、象牙で飾られ、中央には6頭の空飛ぶ馬に引かせた戦車にまたがったポセイドンの黄金神像が安置され、その周りにはイルカに跨った100体のネレイデス像や、奉納された神像が配置されていた。更に10の王家の歴代の王と王妃の黄金像、海外諸国などから奉納された巨大な神像が神殿の外側を囲んでいた。神殿の横には10人の王の相互関係を定めたポセイドンの戒律を刻んだオレイカルコスの柱が安置され、牡牛が放牧されていた。5年または6年毎に10人の王はポセイドンの神殿に集まって会合を開き、オレイカルコスの柱の前で祭事を執り行った。すなわち10人の王達の手によって捕えられた生贄の牡牛の血で柱の文字を染め、生贄を火に投じ、クラテル(葡萄酒を薄めるための甕)に満たした血の混じった酒を黄金の盃を用いて火に注ぎながら誓願を行ったのち、血酒を飲み、盃をポセイドンに献じ、その後礼服に着替えて生贄の灰の横で夜を過ごしながら裁きを行い、翌朝判決事項を黄金の板に記し、礼服を奉納するというものである。
また、アクロポリスにはポセイドンが涌かせた冷泉と温泉があり、その泉から出た水をもとに「ポセイドンの果樹園」とよばれる庭園、屋外プールや屋内浴場が作られたほか、橋沿いに設けられた水道を通して内側と外側の環状島へ水が供給され、これらの内外の環状島にも神殿、庭園や運動場が作られた。さらに外側の環状島には島をぐるりと一回りする幅1スタディオン(約185m)の戦車競技場が設けられ、その両側に護衛兵の住居が建てられた。より身分の高い護衛兵の居住は内側の環状島におかれ、王の親衛隊は中央島の王宮周辺に住むことを許された。内側の3つの島々に王族や神官、軍人などが暮らしていたのに対し、港が設けられた外側の陸地には一般市民の暮らす住宅地が密集していた。更にこれらの市街地の外側を半径50 スタディオン(約9.25km)の環状城壁が取り囲み、島の海岸線と内接円をなしていた。港と市街地は世界各地からやって来た船舶と商人で満ち溢れ、昼夜を問わず賑わっていた。
都に隣接する大平原と軍制
アトランティス島は生活に必要な諸物資のほとんどを産する豊かな島で、オレイカルコスなどの地下鉱物資源、象などの野生動物や家畜、家畜の餌や木材となる草木、 ハーブなどの香料植物、葡萄、穀物、野菜、果実など、様々な自然の恵みの恩恵を受けていた。
島の南側の中央には一辺が3000スタディオン(約555km)、中央において海側からの幅が2000スタディオン(約370km)の広大な長方形の大平原が広がり、その外側を海面から聳える高い山々が取り囲んでいた。山地には原住民の村が沢山あり、樹木や放牧に適した草原が豊かにあった。この広大な平原と周辺の山地を支配したのはアトラス王の血統の王国で、平原を土木工事により長方形に整形した。平原は深さ1プレトロン(約31m)、幅1スタディオン(約185m)の総長10000スタディオン(約1850km)の大運河に取り囲まれ、山地から流れる谷川がこの大運河に流れ込むが、この水は東西からポリスに集まり、そこから海へ注いだ[注 11]。大運河の中の平原は100スタディオン(約18.5km)の間隔で南北に100プース(約31m)の幅の運河が引かれていたが、更に碁盤目状に横断水路も掘られていた。運河のおかげで年に二度の収穫を上げたほか、これらの運河を材木や季節の産物の輸送に使った。
平原は10スタディオン平方(約3.42km2)を単位とする6万の地区に分割され、平原全体で1万台の戦車と戦車用の馬12万頭と騎手12万人、戦車の無い馬12万頭とそれに騎乗する兵士6万人と御者6万人、重装歩兵12万人、弓兵12万人、投石兵12万人、軽装歩兵18万人、投槍兵18万人、1200艘の軍船のための24万人の水夫が招集できるように定められた。山岳部もまたそれぞれの地区に分割され、軍役を負った。アトラス王の血統以外の他の9つの王家の支配する王国ではこれとは異なる軍備体制が敷かれた。
アトランティスの堕落
アトランティスの支配者達は、原住民との交配を繰り返す内に神性が薄まり、堕落してしまった。それを目にしたゼウスは天罰を下そうと考えた。
「(ゼウスは)総ての神々を、自分達が最も尊敬する住まい、すなわち全宇宙の中心に位置し、生成に関わる総てのものを見下ろす所(オリュンポス山)に召集し、集まるとこう仰った」 — プラトン『クリティアス』121c
ここで『クリティアス』の文章は途切れる。
他作品における言及
プラトンのアトランティス伝説は他の作品で引用されており、特にプルタルコス、アイリアノス、プロクロスは、プラトンの原文に載っていない情報を提供している。
- ストラボン『地誌』
- ストラボンは『地誌』の中で、ポセイドニオスの著作である『大洋(オケアノス)について』[注 12]の内容批判を行っているが、ストラボンの引用により、ポセイドニオスのアトランティス伝説に対する見解が残っている。ポセイドニオスは例えばキンブリア人とその仲間の民族が移動を行ったのは、元々住んでいた土地が突然海に浸食されたことによるものと推測されるように、プラトンのアトランティス伝説について、「詩人(=ホメロス)がアカイア勢の防壁について行ったのと同様に、創作者(=ソロン または プラトン)が消し去った」などという意見があるが、プラトンが言うように真実を含んでいるとみなすべきである、と考えていたという。ストラボンはポセイドニオスの考えについては批判的だが、地殻変動に関してはポセイドニオスと同じ考えを持っており、プラトンのアトランティス伝説に関しては特に否定も肯定もしていない[52]。
- なお、「詩人が創作し、破壊した」というのは、「トロイア戦争におけるイリオン湾のアカイア勢の防壁はホメロスの創作で、辻褄合わせのためにトロイア戦争終了後に防壁もろとも洪水で破壊されたことにした」という意味であり、ストラボンによると、プラトンの弟子であるアリストテレスの見解とされている[53]。 アリストテレスがプラトンを批判した文章が様々残っていることから、これらの文を組み合わせ、既にプラトンの生きていた時代からアリストテレスは、アトランティス伝説についてもトロイア戦争の防壁と同じようにプラトンの創作物とみなしたと解釈する人もいる。
- キケロ『ティマエウス』、『最高善と最大悪について』、『国家』
- マルクス・トゥッリウス・キケロはプラトンの『ティマイオス』をラテン語へ翻訳したが、現在残っている断片は宇宙論に関する部位のみであり[注 13]、アトランティス伝説に関する部位の翻訳は残っていない[54]。またキケロの『最高善と最大悪について』と『国家』によると、ロクリスのティマイオスはプラトンの数学の師匠であったという[55]。
- プルタルコス『対比列伝』、『イシスとオシリスについて』
- プルタルコスの『対比列伝』の「ソロン伝」によると、ソロンはアテナイで改革を行った後、海外を10年間旅し、その最初にエジプトのカノープスを訪れ[注 14]、その際ソロンはヘリオポリスのプセノピス、サイスのソンキスという博識な神官と親交を深め、特にサイスの神官から失われたアトランティスの物語を聞いたという[56]。このアトランティスの伝説、とりわけアテナイ人の関わる神話(ロゴス[† 10]とミュトス[† 11])についてソロンは執筆を始めたが結局中止してしまった[57]。
- ソロンの血縁者であったプラトンは、アトランティスの物語を書き上げようとしたが、結局作品を書き終える前に亡くなり、今日アテナイのオリュンピエイオンの神殿に収められているプラトンの全作品の内、アトランティスの物語(=『クリティアス』)だけが未完に終わってしまい、本当に残念なことだとプルタルコスは感想を述べている[58]。このことから少なくともプルタルコスの時代には、すでに『クリティアス』は未完の作品として伝わっていたことが判る。
- なおプルタルコスの別の作品『イシスとオシリスについて』の中でも、ギリシア人の賢者とエジプトの神官との交友の一例として、ソロンとサイスのソンキスの親交が挙げられている[59]。
- アイリアノス『動物の特性について』
- アイリアノス(クラウディウス・アエリアヌス)は『動物の特性について』の中で、サルデーニャやコルシカ沖で冬場を過ごし、しばしば波打ち際で人すら襲うというタラッティオス・クリオス[† 12](『海の羊』)と呼ばれる海獣(シャチと解釈されることが多いが、イッカク説もある)について語っているが、大洋近くに住む住民に伝わる寓話として、ポセイドンの子孫であるアトランティスの王達は王の権威の象徴であるクリオスの雄の皮で作られた帯を頭に巻き、王妃達はクリオスの雌の巻き毛を身に付けていたという話を紹介している[60]。
- ピロン『世界の堕落について』
- ユダヤ人の哲学者 アレクサンドリアのピロンは『世界の堕落について』[注 15]の中で、プラトンのティマイオスからの引用として、リビアとアジアを合わせたよりも広かったアタランテスの島が異常な地震により一昼夜で消滅したことに言及している[61]。
- 大プリニウス『博物誌』
- 大プリニウスは『博物誌』において、「プラトンの言うことを信じるのなら、大西洋[† 13]に広大な土地があったが」という前置きとともに、海に大地が削り取られた例として言及している[62]。これとは別に、アトランティスという名前の島がアトラス山脈の沖合いに現存していることを示唆している[63]。
- アテナイオス『食卓の賢人たち』
- ナンクラティスのアテナイオスは『食卓の賢人たち』の中で、食後のデザートに関する薀蓄としてプラトンのアトランティス伝説に登場する作物[注 16]を引用している[64]。
- テルトゥリアヌス『外套について』
- クイントゥス・セピティミウス・フロレンス・テルトゥリアヌスは『外套について』の中で、大地の姿形が変化した一例として、大西洋にあったというリビアやアジアと同じ大きさの島が消えた事を挙げている[65]。
- ポルピュリオス『プロティノス伝』
- ポルピュリオスの『プロティノス伝』によると、ネオプラトニスムの創始者といわれるプロティノスの弟子ゾティコスは、コロポンのアンティマコスの詩を校正し、『アトランティコン』[† 14]という詩の完成度を高めたという[66]。詩の内容は現存しない。
- 大アルノビウス『異邦人に対して』
- 大アルノビウスは『異邦人に対して』の中で、1万年前にネプトゥヌスのアトランティカ[† 15]と呼ばれた島が沈み、多くの人々が消滅したというプラトンの言葉を信用していいのかどうかを自問している[67]。
- アンミアヌス・マルケリヌス『歴史』
- アンミアヌス・マルケリヌスは『歴史』の中で、地震で誘発される現象を隆起(brasmatiae)、断層(climatiae)、沈下(chasmatiae)、轟音(mycematiae)の4種類に分類しており、地盤沈下の一例として、ヨーロッパよりも広い島が大西洋に沈んだことを挙げている[68]。
- ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』
- ディオゲネス・ラエルティオスの『哲学者列伝』の『プラトン伝』によると、アレクサンドリアの図書館の館長であったビュザンティオンのアリストパネスがプラトンの作品を纏めた際、トリロギア(三部作集)の第1編に『ティマイオス』と『クリティアス』を収録した[69]。
- 一方ティベリオス・クラウディオス・トラシュルスはプラトンの作品を研究して年代順に9編のテトラロギア(四部作集)に纏め、その第8編に『ティマイオス』と『クリティアス』を収めたが、それぞれに『自然について』[† 16]、『アトランティコス』[† 17]という副題をつけたという[70]。
- カルキディウス『ティマエウス注解』
- 『ティマイオス』は400年頃にカルキディウス(4世紀-5世紀)によって再びラテン語に翻訳された。キケロのラテン語訳とは異なり、アトランティス伝説の部位を含む大部分のテキスト[注 17]が現存する[71][注 18]。
- プロクロス『ティマイオス注解』
- ネオプラトニスムの哲学者として知られるリュキアのプロクロス・ディアドコスは、プラトンの『ティマイオス』に関する注釈『ティマイオス注解』を残しており、ネオプラトニスムに立脚したプラトンの作品の解釈が示されている。
- 当時すでに多くの人たちは、プラトンの記述が寓話であると考えており、アパメイアのヌメニオス、アメリオス、オリゲネス、ディオニュシオス・カッシオス・ロンギノス、ポルピュリオス、カルキスのイアンブリコス、シュリアノスなどの解釈が紹介されている[72]。
- ソロイのクラントルは、プラトンの弟子であるカルケドンのクセノクラテスの弟子で、初めてプラトンの書物に注釈をつけたとされる。現在では失われてしまったクラントルの古註によると、クラントルはアトランティスの伝説は総て真実だと主張しており、生前のプラトンは、アトランティスの物語を嘲笑する者に対しては、エジプト人にアテナイとアトランティスの歴史を尋ねろと反論したとのことである。また、クラントルは証拠として、この伝説が神殿の柱に今なお刻まれていると神官たちが主張していることを挙げている[73]。
- プロクロスが参考にしたあるエジプトの史書によると、ソロンはサイスの町ではパテネイト、ヘリオポリスではオクラピ、セベンニュトスではエテモンという神官から知識を得たとされており、プルタルコスが記した神官の名前 (サイスのソンキス、ヘリオポリスのプセノピス)と異なる[74]。
- 歴史家マルケッルスの『エティオピア誌』(現存せず) によると、大西洋の沖合いにはペルセポネに捧げられた7つの島と、更に外側のプルトンとポセイドンとアンモン(アメン)に捧げられた3つの島があり、ポセイドンに捧げられた島は2番目に大きく、1000スタディオン(約185km)の大きさがあるという。かつては大西洋全域を支配したという広大なアトランティス島の住民の末裔がこの島に住んでおり、アトランティスの文化を継承していると記述している。
- コスマス『キリスト教地誌』
- アレクサンドロスのコスマス・インディコプレウステスは『キリスト教地誌』の中で、大地を取り囲む大洋の外を天空を支える大地が取り囲んでいるという地勢観を正統化するために、『ティマイオス』の記述を引用している。プラトンやアリストテレスに褒め称えられ、プロクロスによって注釈をなされているティマイオスによると、ガデイラの西の大洋にあったアトランティス島は10の王国からなり、10世代の間栄えたが、アテナイとの戦争の後に神罰として沈められたとあり、これはまさに天地創造から10世代後に起こったノアの大洪水そのものであり、おそらくティマイオスは、カルデア人から世界最初の歴史家であるモーセの書を知り、大洋の彼方からやって来た10人の王、海の下に消えたアトランティス島、住民を動員した軍隊によるヨーロッパとアジアを征服などといった話を総て創作して付け加えたのだという[75]。また、ソロモンという名のエジプト人がプラトンに向かって「ヘレネス(ギリシア人)は常に子供であり、誰も老人(賢者)にならず、またいにしえからの教えも全くない」などと言ったのは、他国のことを知らないギリシア人が自分たちこそが文字や法律を発明したなどと思い上がっているからであり、リュクルゴスやソロンなどといった輩よりも、モーセの方が偉大な立法者であると主張している[76]。
- コスマスはこのように『ティマイオス』に書かれている内容を色々混同して紹介していることから、コスマス本人はプラトンの原文を読んだことが無く、伝聞で内容を知ったと思われる。この時代よりプラトンを含む古代ギリシアの思想は反キリスト的とみなされ、アトランティス伝説も12世紀中頃のホノリウスの著作までしばし忘れ去られる。
- ホノリウス『世界の模写』
- オータンのホノリウスは『世界の模写』の中で、プラトンの名前を引用し、アフリカとヨーロッパを合わせたよりも広い巨大な島が、惨劇により凍った海[† 18]の下に沈んだことを述べている[77]。ホノリウスはカルキディウスのラテン語訳でアトランティス伝説を知ったと思われる。
- 『世界の模写』はラテン語から様々な口語体に訳されており、例えばウィリアム・キャクストンは1489年に 『The Mirrour of the World』という題名で英語訳を出版している。
関連する記述
ギリシア・ローマ時代の文献
覇権国家の崩壊伝説をモチーフとした類似の物語は、他の文献にも登場する。
- ディオドロス『歴史叢書』
- シケリアのディオドロスの『歴史叢書』は、同時代のハリカルナッソスのディオニュシオスの著作(該当する作品は現存せず)にまとめられたリビアの諸民族に関する内容を参考にしながら、アフリカに暮らす女人族である アマゾネス人の歴史を記している。
- トロイア戦争などで黒海沿岸に住むアマゾネスが有名だが、これとは別にアフリカに住んでいたアマゾネスがおり、こちらの方が歴史が古い。アトラス山の近くのアフリカの大西洋側にトリトン川の水が流れ込むトリトニスの湿地帯があり、巨大なヘスペラ島があった。島は様々の農産物と畜産物に恵まれ、また、火山があり、ルビー、紅玉髄、エメラルドなどの鉱物を産した。この島に暮らす諸民族の一つであったアマゾネスは女性上位社会で、男性が家事・子育てをし、女性が政治と兵役を担った。女性は戦闘で乳が邪魔にならないように嬰児のうちに右側の乳房[† 19]を焼いており、そのためにアマゾネス(乳無し)と呼ばれた。アマゾネスはエチオピア系のイクテュイパゴイ人が暮らす神聖なメネの町を除き全島を掌握し、続いて湖周辺の諸民族を征圧した。そして、トリトニス島に突き出た半島に、アマゾネスの都ケロネソス(ギリシア語で「半島」)を建設した。
- ミュリナがアマゾネスの女王になると、歩兵3万人、騎兵3,000頭からなる軍勢を組織し、まず近隣のアトランティオイ人の町ケルネを破壊し、住民を虐殺した。これを恐れた他の町のアトランティオイ人は降伏し、アマゾネスの支配下に入った。アトランティオイ人は別の女人族であるゴルゴネス人の制圧を女王ミュリナに依頼したが、ゴルゴネス人の地の制圧には失敗した。当時エジプトの王はイシスの子のホロスであったが、ミュリナはエジプト王ホロスと同盟を結び、アラビア人の暮らすシリア、トロス山脈、カイコス川までの大プリュギア地方を戦争により制圧し、キリキア人を支配下においた。また、レスボス島には自分の姉妹の名前に由来する町ミュティレネを建設したほか、配下の腹心の女将にちなんだキュメ、ピタナ、プリエネなどの殖民市をイオニア海側に建設した。女王ミュリナが難破した際に立ち寄った島には、『聖なる島』サモトラケと名付けた。やがて女王ミュリナは、トラキアの亡命中の王モプソスとスキタイの亡命中の王シピュロスの連合軍との戦いに敗れて死に、大多数が戦死したアマゾネス軍はアフリカの地に退却した。その後ペルセウスとその曾孫のヘラクレスにより、それぞれ女人族のゴルゴネス人、アマゾネス人は滅びてしまい、その記念にヘラクレスは柱を立てた。その後トリトニス湖の大西洋に近い側が地震により裂け、湖は消失してしまった[78]。
- アイリアノス『多彩な物語』
- アイリアノスは、『多彩な物語』の中で、キオスのテオポンポスの史書(該当作品は現存していない)に載っていた物語を掲載しているが、テオポンポスの創作の可能性がある、と断りを入れている。
- プリュギアの王ミダスがセイレノスと親交を結んだ時、次のような物語がセイレノスの口より紡がれた。「我々の世界を取り巻く彼方の大陸には、我々の世界とは違う生物や文明が存在するが、そこにはマキモス(『好戦』)とエウセベス(『敬虔』)という対照的な二つの都市国家が存在する。金銀が豊富なマキモスは戦争に明け暮れて多くの部族を支配し、2千万人を下らぬ人口を有していたが、その多くは戦場で石や木製の棍棒で寿命を終えた。ある時マキモスは我々の世界を征服しようと1千万人の軍隊を連れてオケアノスを渡り、ヒュペルボレオイ(『極北の人々』)の地を訪れたが、その清貧な生活ぶりに落胆して、軍隊を連れ帰ってしまった。また、彼方の大陸のメロペス人が住む領域に、アノストス(戻れぬ地)という場所があり、そこの水を飲むと死んでしまう。」[79]
なお、ストラボンは『地誌』の中で、ホメロスの創作を詮無い事と弁護し、歴史家たちの同じような無知を告発する文脈として「テオポンポスが伝えたメロピス地方」に言及している。テオポンポスの史書が実在したことを示すとともに、ストラボン本人はテオポンポスが書き記した一連の大陸の物語を真実とは見なさなかったことを示唆する[80]。
近現代
ドネリーのアトランティス
貧しいアイルランド系移民の息子だったイグネイシャス・ロヨーラ・ドネリーは、事業に失敗し、財産を取り戻そうと政界に進出した。共和党のアレクサンダー・ラムジーの腹心となって実業界と結託したラムジーのもと、様々な汚職や不正に手を染めたが、元来人のいい人物だったこともあり、良心に目覚めてラムジーと決別し、1868年に民主党員になり、当時のミネソタとしては非常に大胆なことに、アメリカ先住民とアフリカン・アメリカンに白人と同等の教育機会と処遇を与えるべきと主張し、選挙に落選した。ラムジーと和解して共和党に戻るが、政治家の盛りは過ぎており、1870年代には農場経営を始めるが失敗し、様々な本を読んで『アトランティス―大洪水前の世界』(1882年)を出版した。また偽名で、格差が拡大したアメリカで労働者が反乱を起こす逆ユートピア小説『カエサルの円柱』を著して人気を博し、農民や都市労働者などの社会的弱者のために活動して富裕層や主流の政治家からは煙たがられた。[81]
ドネリーの時代、地質学者たちは、失われたといわれる大陸やなくなったとされる地形は、全て実在していたと信じていた[82]。ドネリーの『アトランティス―大洪水前の世界』は、1890年に23版に達するほど好調な売り上げだった[82]。歴史学者のロナルド・H. フリッツェは、現在からみると学術的な裏付けに乏しく間違いが多く、当時においても「あり得ること」程度の信憑性だったが、正統な学術書ではないものの筆致には説得力があり、イギリスの首相ウィリアム・グラッドストンもドネリーに称賛の手紙を送っていると述べている[82]。なお、この当時大陸移動説はまだ発表されていない。ドネリーは、キリスト教の教義とダーウィンの進化論を融和させようと試みたアレキサンダー・ウィンチェルの著作(今日では科学の進歩によって信憑性を失い、ほとんど忘れられている)を、権威ある論拠として幾度も引用している[82]。ドネリーは500ページ近くを使って、アトランティス実在の様々な根拠を並べたが、それは科学的調査というより自説を展開する弁護士のような論調である[83]。
ドネリーは著作で主張を13にまとめて紹介した[83]。彼の主張は、近代のアトランティス神話のベースとなっており[12]、今日では、その著作は疑似歴史の代表的なものと考えられている[7]。
- アトランティスは、かつて地中海の入り口の向こう側の大西洋上に実在した島で、古代にアトランティス大陸と呼ばれた大陸の残骸である。
- プラトンの記述は寓話ではなく史実である。
- アトランティスは人類初めての文明である。
- アトランティスは多くの住民が暮らす強国になり、文明化された住民の一部はアトランティスを出て、メキシコ湾岸、ミシシッピー川流域、アマゾン川流域、南米の太平洋岸、地中海、ヨーロッパとアフリカの西岸、バルト海沿岸、黒海沿岸、カスピ海沿岸に移住した。
- アトランティスはノアの箱舟以前のエデンの園など、古代人が伝承してきたアスガルドの時代に実在し、初期の人類が長く平和と幸福の中で暮らした理想郷の普遍的記憶を表している。
- 古代ギリシャ人、フェニキア人、ヒンドゥー人、スカンジナビア人などが崇めた神々は、アトランティスの王や女王、英雄たちであり、神話はそうした史実が混乱して伝わったものである。
- エジプトとペルーの太陽信仰はアトランティスの宗教の名残である。
- アトランティスの最初の植民地はおそらくエジプトであり、エジプト文明はアトランティス島の文明の再現である。
- ヨーロッパの青銅器時代はアトランティスの派生で、世界で初めて鉄器を製造したのもアトランティス人である。
- フェニキアのアルファベットはアトランティスのアルファベットから派生したもので、アトランティスのアルファベットはマヤ文明にも伝播した。
- アトランティスは、アーリア人つまりインド・ヨーロッパ語族の発祥の地であり、セム語族、おそらくウラル・アルタイ語族の発祥の地でもある。
- アトランティスは甚大な自然災害で滅亡し、島は住民の大半と共に海に沈んだ。
- 一握りの人がこれを逃れ、世界に洪水伝説が広まった。
なお、同時代にアトランティスに興味を持ったオカルティストたち、その端緒であるヘレナ・P・ブラヴァツキーとドネリーに影響関係があったか否か、あったとすればどのようなものかは不明である[84]。ドネリー以降、アトランティス学の著作家たちは彼の主張をベースに、超自然現象、科学の知見を超えた知識や技術、異星人などの要素を追加し、さらに理想化したアトランティス像を作っていった[12]。
ブラヴァツキーとオカルト的アトランティス
ドネリーと同時期に、オカルティストたちもアトランティスに興味を持ち始めた。1875年に神智学協会を設立したヘレナ・P・ブラヴァツキーは、77年に『ヴェールを剥がれたイシス』を執筆し、アトランティスに4回言及し、プラトンが述べたようにアトランティスは実在したと述べた。これは後年のようなオカルト的なアトランティスの記述ではない。[85]
インドに本拠地を移したブラヴァツキーは、インドでのスキャンダルを避けて1885年にヨーロッパに戻り、1888年に、チベットの導師やマハトマ(偉大な賢者)と交信し、アトランティスでセンザール語という秘密言語で書かれた『ジャーンの書』に目を通しトランス状態で授かった教えを記したという『シークレット・ドクトリン』を出版[86]。壮大なオカルト宇宙史・人類進化史を展開し、アトランティス等の失われた大陸を中心テーマに語った[86]。これは、プラトンの流れをくむアトランティスとは非常に異なるものである[86]。宇宙は7つの時代を経るとし、各時代には固有の根源人種がいるとした。7つの周期は、太陽系の創造者である宇宙意識[注 19]が、進化の促進のために設定したものだという。
- 第一根源人種 - 地球が太陽神に知恵を持つ霊的生命体を授けてくれるよう願い、太陽神が七大天使に命じて創らせた。不可視の非物質的領域である「不滅の聖地」に存在[87]。
- 第二根源人種 - 肉体があるが無性の骨のない人種。北極地方にあったハイパーボリア大陸に存在。[86]
- 第三根源人種 - 猿のような姿で両性具有・卵生・四本の手と頭部の後ろに目が一つある人種。レムリア大陸に存在。[86]
- 第四根源人種 - 現代人より体が大きく知能の高い優れた人間。アトランティス大陸に存在。[86]
- 第五根源人種 - アーリア人。アトランティス王国の生き残りであるマハトマに導かれ文明を築いた、現代の文明を主導する支配人種[88]。いずれ天変地異が相次ぎ、アメリカ大陸が陥没して滅亡する[89]。
- 第六根源人種 - パーターラ人。北アメリカ大陸で生まれつつあり、いずれ誕生する大陸で進化する[89]。
- 第七根源人種 - 完全な霊性の時代に移行し、進化が終了する[89]。
レムリア人は性を持つようになり、獣姦の罪を犯し神智の神の怒りを買い、レムリア大陸が太平洋に沈んだ後、約85万年前にアトランティスが浮上し第四根源人種の時代になり、現代人より優れたアトランティス人は、高度な科学と芸術を持つ文明を築いたとした[90][91]。アトランティスには、まだ実証されていないような高度な科学技術があったとしており、こうした考えは後のアトランティス学に受け継がれていく[90]。エジプトのピラミッドやドルイド教の神殿、中米の遺跡など世界各地の遺跡はアトランティス文明の名残であるが、プラトンが述べたように約1万1000年前に地震で海中に沈んだという[90]。ニュー・アトランティス等の新大陸が、いずれ南大西洋に現れるとしている[90]。
1891年以降、アニー・ベサントやW・スコット・エリオットら神智学徒が、神秘能力による霊視、センザール語の聖典の内容、マハトマからの言葉として、ブラヴァツキーの説に様々な情報を追加しており、オカルティストたちはオカルト的アトランティスを各々展開していった[92]。神智学から派生したルドルフ・シュタイナーの人智学でもオカルト的アトランティスが信じられ、シュタイナーは宇宙の記憶であるアカシャ記録(アカシックレコード)を見たとしてブラヴァツキーと同様の宇宙の歴史を語った[92]。シュタイナーの弟子のデンマークの占星術師マックス・ハイデルがアメリカのオハイオ州に薔薇十字団協会を設立し、薔薇十字思想でも失われた大陸が主張なテーマとして語られるようになった[92]。
神智学の影響を受けた心霊診断家のエドガー・ケイシーも、神智学同様に転生について語り、霊視したクライアントの前世の多くがアトランティス人だったと主張し、ニューエイジに影響を与えた。ニューエイジのチャネラーJ・Z・ナイトは3万5000歳のアトランティス人ラムサと交信したと主張し、ナイトを支持した女優でニューエイジの主要人物であるシャーリー・マクレーンは前世はアトランティス人で、ラムサのきょうだいだったと語った[93]。
代表的な諸説
アトランティスの繁栄と滅亡について、それらの直接的なモデルが実在したとする考えは人気のあるもので、多くの説が唱えられてきた。その主たる論点は、「ヘラクレスの柱」解釈をめぐる位置問題とアトランティスを滅ぼしたとされる「洪水」の年代問題の考証である。
なお、一般に学術的にはアトランティスについて直接的モデルとなった歴史的事実が存在するとは考えられていない(つまり単なる伝承か、プラトンによる創作と考えられている)。
地中海説
サントリーニ島の火山噴火説が現在有力とされる。サントリーニ島は阿蘇山のような巨大なカルデラの島であり、その噴火による津波によって滅んだミノア王国(ミノア文明)をアトランティスとする。アトランティスに比べて国家としての規模が小さすぎることから文明消失のモデルとはなりえないとの否定的意見もある[94]が、規模と年代、及び位置についてはプラトンの誇張としている[95]。
誇張説とは、プラトンの記録が単位について全て1桁多く誤って記述しているとするもので、エジプトの司祭が100をあらわす象形文字と1000をあらわす象形文字を誤って記録したためという。年代は、プラトンの9000年前でなく900年前ならほぼ一致するし、アトランティスの大きさも記録の10分の1であれば納得できるとされている。
ガラノプロスはアトランティス伝説に登場する「ヘラクレスの柱」が、この場合ジブラルタル海峡を指すのではなく、現在のギリシャ南部にあるマタパン岬[注 20]であると見ている。ガラノプロスはプラトンがアトランティスを青銅器文明だと述べているといい、ミノア文明が青銅器文明であることに合致するという。また、クノッソス宮殿遺跡から牡牛の絵画や造形物が多数発掘されたことから、ミノア王国においては牡牛が力の象徴として崇められていたことが判明しているが、これはアトランティスに牡牛崇拝があったというプラトンの記述と一致する。
また、周辺の海底に文明の痕跡が沈んでいるのが発見されているマルタ島の巨石文明をアトランティスとする説も唱えられている。この説では、暦の違いを把握していなかったプラトンが年代を大きく見積もりすぎたとしており、その点を修正すると、島内の神殿遺跡などと同じ5000年前あたりになるとする。
大西洋説
プラトンの叙述をそのまま適用すると大西洋にアトランティスがあることになる。しかし大陸と呼べるような巨大な島が存在した証拠はないので、アゾレス諸島やカナリア諸島などの実在する島や、。カナリア諸島は、黄金のリンゴがあるというヘスペリデス島のモデルだと考えられている。 多くの古代史家の著作に記載され、グイマーのピラミッドなどの遺跡が発見されていることや[96]、10人の王の伝説などから支持されることが多い。
大西洋上には、アゾレス海台に位置するアゾレス諸島があるが、すべて火山島である。元々、アゾレス海台自体がひとつの大きな陸地であったものが、火山の大噴火によって、火山内部に空洞が発生し、その後この空洞が陥没したために海底沈んだという説も出されており、アゾレス諸島は当時の陸地の高山部分であるという説も出されている。
新しいところでは、2013年5月6日、ブラジル・リオデジャネイロの南東1500キロメートル沖にある海面下1キロメートルの海底台地調査において陸地でしか形成されない花崗岩が大量に見つかり、「この海底台地はかつて大西洋上に浮かぶ最大幅1000キロメートルの小大陸であったことが判明した」と、日本の海洋研究開発機構とブラジル政府が共同発表した。ブラジル政府は今回の調査結果について「伝説のアトランティス大陸かもしれない陸地がブラジル沖に存在していた重要な証拠」と強調した。日本とブラジルは、今後さらにこの海底台地を調査するとしているがのちに間違いといわれた[97]。
旧約聖書にあるタルシシュをアトランティスと見なす説も根強い。タルシシュはイベリア半島にあったとされるタルテッソスであると考えられており、現在ドニャーナ国立公園となっている。現在は湿地原として知られているが、古代は島であり、心部に遺跡が確認されている。海の民の拠点の一つという説もあり、高度な文明を持つ侵略国家というアトランティスのイメージとも合致する。ただし年代に関しては、大きな問題が残る。[98]
この他、イギリス説もしばしば指摘される。ブリテン島やアイルランド、アイリッシュ海に沈んだ島など様々な候補がある。アイルランドにはケルト人の伝承として、イスの海没の伝説がある。
一方、アメリカ大陸がアトランティス島であるという説も根強い人気がある。マヤ文明や、近年ではアマゾン文明の発見がなされる中で、その文明がアトランティスに当たるのではないか、という説もある。実際に北米大陸では12000年前頃に大規模な氷河湖決壊洪水が連続して発生している。
フィクションへの影響
脚注
注釈
- ↑ 庄子大亮は、プラトンはアトランティスについて「島」(ネーソス)としているのだが、ドネリーによって「大陸」のイメージが広まったと述べている。ただしプラトンは、アトランティスはアジアとリビュアを合わせたよりも大きいとも表現している[11]。
- ↑ ここで言う「柱」とはヘラクレスの柱のことである。
- ↑ ハンノの航海の記録はカルタゴのバアル・ハンモン神殿に青銅板に刻まれて奉納されていたが、カルタゴの滅亡と共に現物は失われており、『カルケドン王ハンノによりクロノス神殿へ奉納された、ヘラクレスの柱の彼方のリビュアの地の航海に関する記述』というギリシア語抄訳で現在にその内容が伝わっている。ケルネ島(現在の西サハラのダフラ)に植民市を建設したことや、その他後世に乱雑に引用されるアフリカ西岸の地名が伝わる。
- ↑ プトレマイオスが『地理学』を記述するに当たり基準として設定した本初子午線は、当時西の果てと考えられていたカナリア諸島であり、グリニッジ子午線より西へ約20°ずれている。グリニッジ基準の東経とプトレマイオス記載の経度では、実際は地中海世界内で約30°ほどずれている。
- ↑ このクリティアスは、アテナイの三十人僭主として独裁政治を行った、プラトンの母親の従兄のクリティアス(紀元前460頃-403)であるとする説が従来有力であり、スコットランドの古典学者ジョン・バーネットによってプラトンの曾祖父説が脚光を浴びるようになった。詳しくはクリティアス (プラトンの曾祖父)参照。
- ↑ 『ヘルモクラテス』という続編の存在について唯一触れているのが、カルキディウスの『ティマエウス注解』で、ソクラテス(プラトンはソクラテスの言葉・思想をそのまま書き残したと考えられていた)は『国家』の続編として『ティマイオス』、『クリティアス』、『ヘルモクラテス』という連作を作ったと言及している(Calcidius,In Tim.6)。しかしながら、ディオゲネス・ラエルティオスの『哲学者列伝』によると紀元前2世紀の段階で既に『ヘルモクラテス』という作品は存在しなかったことが示唆されている(Diog.Laert.iii.61-62(s.37))。
- ↑ 病欠した人物はプラトンだとする説もあるが、当時のプラトンはまだ子供である。もっとも敵国の有力者同士がこのような対談をするはずがなく、あくまでもプラトンの創作の架空対談であり、病欠した人物というのは対談に真実味を出すためのプラトンの文学的テクニックであるとする解釈も一般的である。
- ↑ ソロンとクリティアス、プラトンの血縁関係はクリティアス (プラトンの曾祖父)参照
- ↑ この部分は(1)エジプトが建国されてから8000年、(2)ネイトを保護神とするサイスの町が建設されてから8000年、(3)サイス王朝が建国されてから8000年、の三通りの解釈がされて来ており、特にアトランティス伝説としては「アトランティスはエジプトの歴史よりも古い」という(1)の解釈が広まっているが、文中では神官がアテナイと「我々の」都市の制度の比較をし、サイスとアテナイを建設したとされるアテナの偉業を讃え(Pl.Tim.24a-24d)、エジプトが有史来正確に歴史を伝えていることを強調していることから(Pl.Tim.21b-22b)、(2)の解釈が一番妥当である。
- ↑ 運河の長さが50スタディオンだとすると、海岸から中央のアクロポリスまでの距離は50 + 3 + 3 + 2 + 2 + 1 + 5/2=63.5スタディオンということになり、海岸からアクロポリスまでの距離(50スタディオン)、(Pl.Criti.112c)町を取り囲む城壁の半径(50スタディオン)(Pl.Criti.117e)などの記述と矛盾する。
- ↑ これらの記述から大平原は東西3000スタティオン、南北2000スタディオンの長方形で、アトランティスの都はこの長方形の大平原の南端に位置し、海岸線との間に挟まれていたことになる。大運河の水がアトランティスの都の海水路に注いでいるのなら、都の一番外側の海水路の北側と大運河を結ぶ水路が存在しているはずであるが、都を迂回する形の河が流れていたことも考えられる。なお、2000スタディオンの幅を「平原の」中央から海までの距離と解釈し、歪な四角形(例えば東西の辺が3000と4000スタディオン、南北の辺が1000と2000スタディオン)を描く考えもあるが、徴兵制度の項目で説明で説明される平原の面積(600万平方スタディオン)と合致しない(Pl.Criri.119a)。
- ↑ オリジナルのテキストは現存せず。
- ↑ プラトン『ティマイオス』27d-37e, 38c-43b, 46b-47b
- ↑ 紀元前593年頃にソロンがエジプトを旅したとなると、アマシス王の時代(紀元前570-526)とするプラトンの文章と矛盾する(Pl.Tim.21e)。
- ↑ 贋作と考えられている
- ↑ プラトン『クリティアス』115a-b
- ↑ プラトン『ティマイオス』17a-53c
- ↑ カルキディウスのラテン語訳は12世紀以降欧州で読まれるようになったが、特に『ティマイオス』に登場する宇宙論については詳しい解説を残しており、ヨーロッパ中世の宇宙論の基礎の一つとなった。ただしカルキディウスはアトランティス伝説の部分に関しては翻訳をしただけで、解説は残していない
- ↑ デミウルゴス、ロゴス、太陽神などと呼ばれる。
- ↑ 当時の言葉で言えばマレアスとテナロンだとされ、地形上の特性にかなっているという。
出典
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原語
- ↑ 古代ギリシア語: Тίμαιος
- ↑ 古代ギリシア語: Κριτίας
- ↑ 英: Atlantis, the Antediluvian World
- ↑ 羅: Atlanticum Mare、英語 Atlantic Oceanなど。
- ↑ 古代ギリシア語: Ἀτάραντες
- ↑ 古代ギリシア語: Ἄτλαντες
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- ↑ 古代ギリシア語: Λίξιται
- ↑ 古代ギリシア語: Ἀτλαντικός πελαγος、大西洋
- ↑ 古代ギリシア語: λόγος、論理
- ↑ 古代ギリシア語: μυ̃θος、寓話
- ↑ 古代ギリシア語: θαλάττιος κρἱός
- ↑ 羅: atlanticum mare
- ↑ 古代ギリシア語: Ἀτλαντικόν、「アトランティスの物語」
- ↑ 羅: Atlantica Neptuni
- ↑ 古代ギリシア語: περἱ φύσεως
- ↑ 古代ギリシア語: Ἀτλαντικός、「アトランティスの物語」
- ↑ 羅: concretum mare
- ↑ 古代ギリシア語: μαστός
参考文献
一次資料
- ホメロス『オデュッセイア(上)』松平千秋(訳)、岩波書店〈岩波文庫〉、1994年。ISBN 978-4003210246。
- ヘシオドス『神統記』廣川洋一(訳)、岩波書店〈岩波文庫〉、1984年。ISBN 978-4003210710。
- ヘロドトス『歴史(上)』松平千秋(訳)、岩波書店〈岩波文庫〉、1971年。ISBN 978-4003340516。
- ヘロドトス『歴史(中)』松平千秋(訳)、岩波書店〈岩波文庫〉、1972年。ISBN 978-4003340523。
- ヘロドトス『歴史(下)』松平千秋(訳)、岩波書店〈岩波文庫〉、1972年。ISBN 978-4003340530。
- ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌』飯尾都人(訳)、龍溪書舎、1994年。ISBN 978-4844783770。
- プラトン『ティマイオス/クリティアス』岸見一郎(訳)、白澤社、2015年。ISBN 978-4768479599。
- プルタルコス『プルタルコス英雄伝』村川堅太郎 (編)、筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、1996年。ISBN 978-4480083210。
- アテナイオス『食卓の賢人たち』柳沼重剛(訳)、岩波書店〈岩波文庫〉、1992年。ISBN 978-4003367513。
二次資料
- 竹内均 『地球物理学者 竹内均の旧約聖書』 同文書院、1988年。ISBN 4810380017。
- ウィリアム・H・スタイビング 『スタイビング教授の超古代文明謎解き講座』 福岡洋一訳、太田出版、1999年。ISBN 4872334825。
- ライアン・スプレイグ・ディ・キャンプ 『プラトンのアトランティス』 小泉源太郎訳、角川春樹事務所、1997年。ISBN 4894563657。
- 大陸書房刊 『幻想大陸』 の改題再刊
- と学会 『トンデモ超常現象99の真相』 洋泉社、1997年。ISBN 4896912519。
- 宝島社文庫改訂版:2000年。ISBN 4796618007。
- ウルフ・エルリンソン 『アトランティスは沈まなかった―伝説を読み解く考古地理学』 山本史郎訳、原書房、2005年。ISBN 4562038780。
- 庄子大亮 『アトランティス・ミステリー プラトンは何を伝えたかったのか』 PHP研究所〈PHP新書〉、2009年。ISBN 978-4569773780。
- ロナルド・H. フリッツェ 『捏造される歴史』 尾澤和幸訳、原書房、2012年。ISBN 978-4562047642。
- 大田俊寛 『現代オカルトの根源 - 霊性進化論の光と闇』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2013年。ISBN 978-4-480-06725-8。
関連文献
- 『神々の指紋』グラハム・ハンコック著、大地瞬訳
- 『アトランティス物語 失われた帝国の全貌』 エドガー・ケイシー著、林陽訳
関連項目
外部リンク
- Perseus Digital Library(プラトンの作品を始めとするギリシア・ローマの古典が英語・ラテン語・ギリシャ語で読める。)