アッシジのフランチェスコ
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アッシジの聖フランチェスコ (アッシジの聖フランシスコ) | |
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証聖者 | |
生誕 |
1182年7月5日 スポレート公国・アッシジ |
死没 |
1226年10月3日 教皇領・アッシジ |
崇敬する教派 | カトリック教会、聖公会 |
列聖日 | 1228年7月16日 |
列聖場所 | アッシジ |
列聖決定者 | グレゴリウス9世 |
記念日 | 10月4日 |
守護対象 | 自然環境保護、動物 |
アッシジのフランチェスコ(伊:Francesco d'Assisi、ラテン語:Franciscus Assisiensis、本名 ジョヴァンニ・ディ・ピエトロ・ディ・ベルナルドーネ Giovanni di Pietro di Bernardone、1182年 7月5日 - 1226年10月3日)
フランシスコ修道会の創立者。イタリアの守護聖人 (祝日 10月4日) 。フランチェスコとも呼ばれる。イタリア名 Giovanni Francesco Bernardone。ラテン語,フランス語,吟遊詩人の文学を学び,軍人生活に入ったが,スポレトで幻視を得て帰郷し,世俗的財と家族の絆を捨て清貧の生活に入った。サン・ダミアノ聖堂を再建し,キリストのことばを聞いて説教を開始。弟子が集まると単純な生活戒律をつくり,1209年教皇の認可を得た。 1212年アッシジのクララを中心とする女弟子を定住させて戒律を与え,クララ会を創始,1221年フランシスコ会第三会を始めた。会は国外にも急速に発展。 1217年エジプトに渡ってスルタンに説教し,感服させて聖地巡礼を許されたという。帰国して新しい戒律を編み,1223年教皇の認可を得た。 1224年夏ラベルナ山において聖痕を受け,盲目となって生涯を終えた。ジョット・ディ・ボンドーネら多くの画家によって描かれた。アッシジにフランチェスコ博物館がある。