はやぶさ (列車)
はやぶさ | |
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概要 | |
国 | 日本 |
種類 | 寝台特急 |
現況 | 廃止 |
地域 | 東京都・神奈川県・静岡県・愛知県・岐阜県・滋賀県・京都府・大阪府・兵庫県・岡山県・広島県・山口県・福岡県・佐賀県・熊本県 |
運行開始 | 1942年11月15日 |
運行終了 | 2009年3月13日 |
旧運営者 |
日本国有鉄道(国鉄)→ 九州旅客鉄道(JR九州) 西日本旅客鉄道(JR西日本) 東日本旅客鉄道(JR東日本) 東海旅客鉄道(JR東海) 日本貨物鉄道(JR貨物) |
路線 | |
起点 | 東京駅 |
終点 | 熊本駅 |
使用路線 |
JR東日本:東海道本線(東海道線 (JR東日本)) JR東海:東海道本線(東海道線 (静岡地区)・東海道線 (名古屋地区)) JR西日本:東海道本線(琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線)・山陽本線(一部JR神戸線) JR九州:山陽本線・鹿児島本線 |
技術 | |
車両 | 国鉄14系客車(熊本鉄道事業部熊本車両センター) |
軌間 | 1,067 mm |
電化 |
直流1,500 V 交流20,000 V・60 Hz |
本項では、かつて日本国有鉄道(国鉄)・JRが東京駅 - 西鹿児島駅間で運行していた寝台特急、並びに東京と鹿児島県を鹿児島本線経由で運行していた寝台特急列車および優等列車の沿革について記述し、2011年から東北新幹線において運行されている列車については「はやぶさ (新幹線)」に記す。
Contents
概要
日本国有鉄道(国鉄)および分割民営化後のJRが、東京駅と熊本駅(1997年までは西鹿児島駅)の間を東海道本線・山陽本線・鹿児島本線経由で運行していた。
JRが運行していた定期列車としては、かつての併合相手であった「さくら」が2005年2月28日に廃止されたため、それ以降廃止までの間は日本一の長距離旅客列車であった[注 1]。
京阪神と九州を結ぶ「なは」「あかつき」が2008年3月14日発(始発駅基準)の運行をもって廃止されたため、翌日の3月15日以降廃止まで併結する「富士」とあわせて関東・東海・京阪神から九州へ直通する最後の定期夜行優等列車であった[注 2]。
運行後期は乗車率が低迷し[1]、JR九州によると2007年度の平均乗車率は約20%(1989年時点と比べ約4分の1)[2] だった。
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寝台特急「はやぶさ」(鹿児島本線)
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末期の寝台特急「はやぶさ」のヘッドマーク
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末期の寝台特急「はやぶさ」のテールマーク
列車名の由来
鳥のハヤブサにちなむ。寝台特急の運転開始当初では特急の名称として鳥類のものが充てられただけではなく、東京 - 大阪間ビジネス特急の名称として公募した際に佳作として選定され、特急に使用することが決定されていた名称でもある。
廃止直前の運行概況
東京駅 - 熊本駅間 (1315.0 km) で運行されていたが、下り列車は新垂井駅経由のため、実走行キロは1317.9kmとなった。
多層建て列車で運行されたため列車番号は区間により異なっており、東京 - 門司間は併結相手の「富士」に合わせて 下り列車が 1、上り列車が 2、門司 - 熊本間は下り列車が 41、上り列車が 42 として運行されていた。
停車駅
東京駅 - 横浜駅 - 熱海駅 - 沼津駅 - 富士駅 - 静岡駅 - 浜松駅 - (豊橋駅) - 名古屋駅 - (岐阜駅) - (京都駅) - (大阪駅) - [岡山駅] - [福山駅] - [尾道駅] - 広島駅 - 岩国駅 - 柳井駅 - 下松駅 - 徳山駅 - 防府駅 - 新山口駅 - 宇部駅 - 下関駅 - 門司駅 - 小倉駅 - 博多駅 - 鳥栖駅 - 久留米駅 - 大牟田駅 - 熊本駅
この他、下り列車では米原駅・姫路駅・岡山駅・福間駅、上り列車では赤間駅・大阪駅・米原駅で運転停車をおこなっていた。下り列車が福間駅で特急「ソニック」10号の、上り列車が赤間駅で特急「有明」24号の待避を行っていた。
大幅な遅延などで品川駅止まりとなった場合は、小田原駅に臨時停車し、小田原 - 品川間は東海道貨物線経由での運転となるため、横浜駅は経由しなかった。
使用車両・編成
担当乗務員区所
車掌は国鉄時代からJR時代を通じ、永らく全区間を博多車掌区が担当していたが、2005年3月1日ダイヤ改正での「富士」との併結以降、上下列車とも、東京駅 - 下関駅間を西日本旅客鉄道(JR西日本)の下関地域鉄道部下関乗務員センターが、下関駅 - 熊本駅間は九州旅客鉄道(JR九州)博多車掌区が担当した。運転士は各旅客会社が自社区間を担当していたが、九州島内では下関駅 - 門司駅間は日本貨物鉄道(JR貨物)門司機関区、門司 - 鳥栖間は小倉運転区、鳥栖 - 熊本間は熊本運輸センターが担当した。
車内販売
1993年(平成5年)3月18日ダイヤ改正以前は、食堂車が連結・営業されていたが、利用者の減少が著しくなった1993年3月18日からは売店としての営業に縮小され(当時は食堂営業時代と同じく東京駅 - 熊本駅間で日本食堂が担当していた)、1997年(平成9年)11月29日ダイヤ改正で、食堂車の連結を完全に取りやめた。1997年のダイヤ改正以降は、下りは東京駅→名古屋駅間と徳山駅→博多駅間で、上りは名古屋駅→東京駅間で車内販売が実施されていた。車内販売は6・7号車から巡回した。なお、東京駅 - 名古屋駅間の車内販売はジェイアール東海パッセンジャーズ (JRCP) の担当に変更された。
販売品目はコーヒーやジュース・駅弁・菓子などで、取扱い内容は下りと上りとでは異なっていた。
上り列車の場合、機関車の交換と「富士」の連結作業のため、門司駅で29分間停車した。
「はやぶさ」が登場する主な作品
- 西村京太郎 『寝台特急殺人事件』
- 島田荘司 『寝台特急「はやぶさ」1/60秒の壁』
- 映画『ブルートレインひとり旅』(1982年、中山節夫監督作品)
- 西村京太郎 『山陽・東海道殺人ルート』(2008年リメイク版)
- 松山せいじ『鉄娘な3姉妹』(0番線および5番線)
東京対鹿児島本線優等列車沿革
戦前・関門トンネル開業による運転開始
- 1942年(昭和17年)11月15日:関門トンネル開業に際し、急行列車7・8列車の運行区間を東京駅 - 鹿児島駅間に変更する。
- 1945年(昭和20年)1月25日:運行区間を下関駅まで短縮され、3月20日に運行が中止された。
戦後・運行復活からの展開
- 1950年(昭和25年)11月2日:東京駅 - 鹿児島駅間を東海道本線・山陽本線・鹿児島本線経由で運行する急行列車「きりしま」運行開始。また、姉妹列車として「筑紫」(つくし)が運行される。
- 「きりしま」は山陽本線に夜行運転となるが「筑紫」は東海道本線と鹿児島本線とで夜行運転をしたため、1列車が2回夜行列車として運行。
- 1956年(昭和31年)11月19日:このときのダイヤ改正により以下の様に変更。
- 「きりしま」、漢字名称の「霧島」に改称。
- 「筑紫」の列車名を「さつま」に変更。「筑紫」は新設された東京 - 博多間の夜行急行列車の名称に用いられる。
第3の九州特急「はやぶさ」の登場以降
テンプレート:Heiwa Hayabusa 1958-1960
- 1958年(昭和33年)10月1日:「はやぶさ」が東京駅 - 鹿児島駅間で運行開始。
- 従前、同区間を運行していた夜行急行列車「さつま」を格上げする形で運転が開始される[3]。これにより、「はやぶさ」は鳥栖駅以南の鹿児島本線を運行する初めての特別急行列車となった。運行開始時の博多駅以南の停車駅は、久留米駅 - 大牟田駅 - 熊本駅 - 八代駅 - 出水駅 - 鹿児島駅であった。
- 編成はこちらを参照されたいが、車両は(「さちかぜ」→)「平和」と同編成で組成された一般形車両を使用した。
- 1957年(昭和32年)10月1日のダイヤ改正の時点で博多駅以西対東京直通特急列車の設定に際して、長崎駅直通か鹿児島駅直通かという検討がなされた。最終的には、戦前に運行された「富士」の実績から「さちかぜ」は長崎直通となった。その代替として東京駅 - 博多駅間運行の寝台特急列車「あさかぜ」と京都駅 - 鹿児島駅間運行の夜行急行列車「桜島」と博多駅で接続するダイヤを設定し、実際に同経路で乗車する際には無割引ながら「あさかぜ」の寝台券を付けた乗継特急・急行券を発行した[4]。
- 1960年(昭和35年)
「みずほ」の誕生
- 1960年12月24日 - 1961年(昭和36年)1月14日:東京駅 - 熊本駅間に臨時特急「臨時あさかぜ」を他の列車の混雑緩和のため運行。この列車が「みずほ」の前身となる。編成図はこちらを参照されたい。
- 1961年10月1日:東京駅 - 熊本駅間を不定期列車として「みずほ」運行開始。
- 「みずほ」は「不定期列車」と名乗るが、実際には毎日の運行とした。当時、唯一の特急用客車であった20系客車が「さくら」・「あさかぜ」・「はやぶさ」用に限定され、運用本数もその3列車専用として運用されていたことから、必然的に一般形客車を使用する編成となった。ただし、「はやぶさ」登場時と異なり、かつての特急用車両であったスハ44・スハフ43形や急行用としては最新鋭一等寝台車両であったオロネ10形を充当するなど、特別急行列車として一定の配慮がなされていた。しかし、運行当初は表中では「正規編成」と表現した計画された編成で運行できず、実際には表中の「暫定編成」で運行を行った。
- また、エア・コンディショナーがオロネ10形や食堂車であるオシ17形のみであることから、翌1962年(昭和37年)夏季には「みずほ」利用に際して、1961年10月1日より実施された特急料金の割引がなされた[注 3]。
- 定期列車化した1962年(昭和37年)10月1日以降までに正規編成を用いて運行されたとされる。
- 1962年10月1日:「みずほ」が定期列車に昇格。
テンプレート:Mizuho JNRPC 20 Format 1963 6
- 1963年(昭和38年)
- 6月1日:「みずほ」の使用車両をそれまでの一般客車から20系客車に変更。これと同時に編成の一部を大分駅発着とする。
- 12月:「みずほ」「はやぶさ」「さくら」に二等寝台車を1両増結。「さくら」「はやぶさ」は博多駅発着の付属編成に、「みずほ」は基本編成に連結をした。
- 1964年(昭和39年)10月1日:東海道新幹線開業に伴うダイヤ改正に伴い、以下のように変更。
- 1967年(昭和42年)10月1日:「霧島」運行区間を東京駅 - 西鹿児島駅間に短縮。
- 1968年(昭和43年)10月1日:このときのダイヤ改正により、以下のように変更。
- 「はやぶさ」:博多駅にて増解結を行っていた編成を長崎駅まで延長、西鹿児島発着編成とは鳥栖駅で分割併合を行う[3]。また、長崎駅発着編成は「あかつき(下り1号・上り2号)」と共用する。
- 「みずほ」の運行区間を東京駅 - 熊本駅間に変更。
- 「霧島」の東京駅 - 門司駅間を「高千穂」と併結運転とする。同時に寝台車連結を廃止。
- 1970年(昭和45年)10月1日:京都駅 - 西鹿児島駅間の寝台特急列車としてひらがな書きの「きりしま」を運行開始。これに伴い、東京駅 - 西鹿児島駅間急行列車の名称を「霧島」から「桜島」(さくらじま)に変更。
- 従来から運行していた臨時列車「桜島」はこの変更に際して上り・下りとも「しろやま51号」と改称。
- 1972年(昭和47年)
東海道・山陽新幹線全通後の展開
- 1975年(昭和50年)3月10日:山陽新幹線博多駅乗り入れに伴うダイヤ改正により、以下のように変更する。
- 1976年(昭和51年)10月1日:このときのダイヤ改正により「はやぶさ」の使用車両を24系24形客車から24系25形客車に置き換え。「富士」「出雲」とともに、東京駅発着の定期寝台特急初の2段B寝台投入。1人用個室A寝台「オロネ25形車両」も同時に連結。このA寝台1人用個室には当初愛称がなかったが、1986年(昭和61年)3月3日に「シングルデラックス」と命名される。編成についてはこちらを参照のこと[注 4]。
- 1978年(昭和53年)2月1日:博多「あさかぜ」の24系25形化に伴い、食堂車の運用を捻出するため食堂車は熊本回転の付属編成となる[3]。この変更は共通運用だった「富士」・「出雲」にも同様に実施。
- 食堂車は増備しない方針であったため、既に末端区間の食堂利用率が低下気味でかつ運行時間が丸1日となる「富士」・「はやぶさ」の食堂車を、途中駅折り返しとすることで東京に戻る日を1日早め、「あさかぜ」への充当が可能になった。このときの編成はこちらを参照のこと。
- 1980年(昭和55年)10月1日:「富士」の運行区間を東京駅 - 宮崎駅間に短縮。「はやぶさ」15年ぶりに日本最長距離特急へ返り咲く[3]。
- 1984年(昭和59年)
テンプレート:JNR PC14 1984 Sakura Mizuho
- 1985年(昭和60年)3月14日:「はやぶさ」にオハ24形700番台「ロビーカー」を連結。これに伴い、「はやぶさ」を含めた東京駅 - 下関駅間を通し運転するすべての寝台特急列車の牽引機をEF65形からEF66形へ変更[3]。
- 1986年(昭和61年)11月1日:ダイヤ改正に伴い、客車の受け持ちを以下のように変更。
民営化以降の展開
- 1989年(平成元年)
- 1990年(平成2年)3月11日:「はやぶさ」水俣駅で昼行電車特急である「有明」11号に追い越されるダイヤを組んだ。
- 1991年(平成3年)5月31日:「みずほ」の食堂車の営業を売店営業に変更。
九州特急「はやぶさ」の斜陽化から終焉へ
- 1993年(平成5年)3月18日:ダイヤ改正により「はやぶさ」は以下の通り変更となる。
- 1994年(平成6年)12月3日:「みずほ」が廃止。「さくら」が長崎編成・佐世保編成とも共通化され、JR東日本車の九州への乗り入れがなくなる。
- 1997年(平成9年)11月29日:利用者の減少により運行区間を東京 - 熊本間に短縮。1980年(昭和55年)10月1日に「富士」が区間短縮された時以来維持してきた、定期列車の日本一の長距離定期列車の座を「さくら」に譲る。また、売店営業を行っていたオシ24形の連結終了[3]。同時に日本食堂による東京 - 熊本間通しでの車内販売営業も終了した。24系25形のみで単独運行されたこのときの編成図はこちらを参照されたい。
- 1999年(平成11年)12月4日:「はやぶさ」の利用者減に伴う運行系統整理により、鳥栖駅まで寝台特急「さくら」を併結して運転する2階建て列車とした[6]。この「さくら・はやぶさ」の運行形態は1968年から1975年までの「はやぶさ」、1975年から1994年の「みずほ」の運行形態と同様となった。
テンプレート:Kyushu Limited From Tokyo 1999-2002
「はやぶさ」単独運転最終日編成 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
← 熊本 東京 →
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10号車は改正以後の14系編成編入のための改造で欠車していた
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テンプレート:Kyushu Limited From Tokyo 2002-2005
- 2004年(平成16年)2月:九州新幹線開業に伴い西鹿児島駅が鹿児島中央駅に改称するのを記念し、西鹿児島駅→東京駅・品川駅間の団体専用列車「思い出のはやぶさ号」として「はやぶさ」を上り列車のみであるが復活運転させた。その際、定期列車は平常どおり運行。
- 2005年(平成17年)3月1日:ダイヤ改正で「はやぶさ」は併結相手の「さくら」廃止に伴い、新たに東京 - 門司間で「富士」と併結する2階建て列車とした。これにあわせて、使用車両を24系25形客車から14系客車に変更。また「ロビーカー」とブルトレ便も同時に廃止した。
「さくら」併結運転最終日編成 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
← 熊本・長崎・鳥栖 東京 →
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転属の関係で最終日のさくらは鳥栖止まりで運転となった
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- 2009年(平成21年)
「はやぶさ・富士」最終日編成 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
← 熊本・大分 東京 →
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列車名の由来
- 「霧島・きりしま」:鹿児島県と宮崎県の県境に広がる火山群である霧島山から。異称として他に霧島連山、霧島連峰、霧島山地、霧島火山群があるが日本語版Wikipediaにおける項目では「霧島山」が採用されている。霧島 (曖昧さ回避)も参照。
- 「桜島」(さくらじま):鹿児島県の錦江湾(正式には鹿児島湾)にある半島であり活火山でもある桜島から。海の中にそびえるその山容は特に異彩を放っており、鹿児島のシンボルの1つとされる。
- 「さつま」:現在の鹿児島県西部に相当する令制国(いわゆる旧国名)の薩摩国から。
- 「筑紫」(つくし):現在の福岡県東部を除く部分に相当する令制国(いわゆる旧国名)の筑紫国または、日本神話の国産みにおける「筑紫島」と呼ばれた九州全域を指す「筑紫」に由来する。ただし、一般的には前者のみとされる。
- 「みずほ」:日本国の美称でもある、「瑞穂国」(みずほのくに)にちなむ。ただし、特別急行列車の愛称には抽象名詞を用いるという慣例があったことや戦前の特別急行列車愛称公募時に日本の意味合いがある「大和」があるため、それによるものともされる。
脚注
注釈
- ↑ なお、本列車が廃止された2009年3月時点では、臨時列車を含めると2005年の「さくら」廃止以前から大阪 - 札幌間を運行する「トワイライトエクスプレス」が日本一の長距離旅客列車であった。
- ↑ 優等列車以外では臨時夜行快速列車であった「ムーンライト九州」が2009年年始を最後に運行休止した。
- ↑ 1等220円・2等100円の割引特定特急料金であった。
- ↑ 実際にはダイヤ改正に先行して9月27日東京発より24系25形に置き換えられた[5]。
- ↑ のち熊本機関区と統合し熊本運転所。2006年(平成18年)より、熊本鉄道事業部熊本車両センターとなる
- ↑ 「はやぶさ」の運行区間である東京駅 - 西鹿児島駅間の距離については、運賃計算上の経路である岩徳線経由の営業キロ(運賃計算キロ)である1,493.6kmとされている資料もあるが、実際の運行距離は山陽本線柳井駅経由の1,515.3kmであった。
出典
- ↑ “さらば九州ブルトレ 「はやぶさ」と「富士」最終便”. 西日本新聞. (2009年3月15日). オリジナルの2011年8月27日時点によるアーカイブ。 . 2011閲覧.
- ↑ 2.0 2.1 “東京発ブルートレイン「はやぶさ・富士」最終日”. Response.. (2009年3月13日) . 2011閲覧.
- ↑ 3.00 3.01 3.02 3.03 3.04 3.05 3.06 3.07 3.08 3.09 3.10 宇都宮照信・栗原隆司 『九州発 最後のブルートレイン』 海鳥社、2009年、90-92。ISBN 978-4-87415-717-6。
- ↑ 三宅俊彦 『ブルートレイン - 夢を運んで半世紀』 JTBパブリッシング、2009年。ISBN 978-4-533-07350-2。
- ↑ ブルトレ興亡録、イカロス出版より
- ↑ “平成11年12月 ダイヤ改正について II. 在来線 3. 東海道線寝台特急「さくら」「はやぶさ」を併結運転します” (プレスリリース), 東日本旅客鉄道, (2003年9月24日) . 2011閲覧.
- ↑ “平成21年2月限定 寝台特急「富士」「はやぶさ」に寝台券なしでご乗車になれます!” (プレスリリース), 九州旅客鉄道, (2008年12月25日), オリジナルの2008年12月29日時点によるアーカイブ。